1976年発表
『地域診療批判』より
……ごく最近沖縄で大きな問題になった事件で、国際海洋博の開催地と皇太来沖を前にして、県警が108名の「精神障害の疑いのあるもの」をリストアップし、県予防課に強制入院を含む処置をとるよう申し入れたことがあった。この実質的保安処分の動きは、新聞が大きく報道し、予防課もこれを拒否、さらに人権協会、弁護士、精神神経学会、医療関係者などが連日抗議するなかで、県警も正式に陳謝、撤回することで一応ケリがついたが、私が問題とするのはこのリスト・アップの過程である。すなわち、この数ヶ月前から県警は管下の警察署の地域にいる精障者のリストをつくり報告するよう指示、これに基づいて防犯係、青少年係の警察官が保健所や病院に情報を求めていたことがわかった。幸い保健所関係者は予めこのような動きを注意していたので拒否したが、これがさらに下の村役場、部落までいくとそう簡単ではない。ここでは警察官はいかめしい権力者というより部落民と日常親しくしているお巡りさんである。この依頼をうけた部落の区長は悪気もなくこれに応じ協力したろう。那覇保健所のある村でも区長らが「たのまれたけど、わしらにはわからんので教えてください」と駐在保健婦のところにきたと報告されている。
108名のリスト・アップはこのような部落でのごく日常な生活と意識の中からなされたものであり、保健婦はいつもこのような立場に立たされているわけである。この保健婦は依頼を断り逆に地域での病者への態度を区長に説いたのであるが、日常の場において、つねに医療の理念について考えていない場合、私たちはこの一般住民の日常意識を、国家―法―政治に添加する役割を担わされるということを示す象徴的事件であったといえよう。
1980年11月発表
『保安処分―精神衛生法批判』より
私は今「政治」の日程に上った「保安処分」に強い危機感を感じています。と同時に、毎日の仕事のなかで患者―家族―地域住民―医療者らの関係に身を置きながら行っている私の行為=精神医療に、いいようのないもどかしさといらただしさを感じています。今までのべてきましたように、すでに私たちの日常の行為のなかに、患者をとりまくみんなのなかに、すでに「保安処分」の実質が進行していると感じるからです。
さらにまた、この現実の危機を最も鋭く体感で感じとりながらも、政治的・社会的発言もできず黙々として悲惨な境遇を背負わされて生きている人々を身近にみるからです。
私は全力をあげて「保安処分」を阻止する「政治」行動を行わなければならないと思うのですが、この「政治」は私たち自身が日々生きている場で深く貫かれたものでなければならない、そしてまた、この「処分」の直接の被害者にされながら語らんとして語れぬ人々の苦しさを少しでも共感しあえる「政治」として闘わなければならないと考えるのです。このような「政治」をつくりえない限り「保安処分」は阻止できないだろうし、私たち自身、この処分を行う社会とともに奈落への道をたどらざるをえないでしょう。
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