Sunday, January 22, 2017

玄秀盛, 中下大樹『何があっても生きる』

Gen, H., & Nakashita, D. (2013). Nani ga attemo ikiru: Koritsu hinkon jishi no rensa o tatsu. Koseishuppansha.

中下 ― 例えば同じ町でも、道路一本を挟んでこちら側は東電からお金が出ているけれども、向こう側は出ていないとか。放射線量が場所によってどれだけ高いとか。警戒区域とされる“半径”の中なのか外なのか。そんな不合理な線引きの結果、同じ町の中でも分断が起こるわけです。
水俣訴訟の時でもそうだったと思うのですが、同じ町民同士が対立を起こしたり憎しみを抱いてしまうのは、お金が絡んでいるからです。「うちは賠償ゼロなのに、なんであの家は〇〇万円も出るのか」ということで対立が始まる。でもよく考えたら同じ町に住んでいて、同じような被害を受けているわけです。本来ならば団結して、東電や国に対して賠償を訴えなければいけないのに、目の前の町民同士でいがみあってしまう。それは国とか東電からすると「してやったり」の状況なんですよ
― 一つになれたらこんなに強いことないけどなぁ。それこそ、東電や国の「してやったり」というのもわかるよな。

(p.p.22-23)