Okada,
T. (2005). Jikoaigata shakai: Narushisu no jidai no shūen.
Tōkyō: Heibonsha.
プロパガンダに操縦される大衆
アメリカの「民主主義」と称するものの、大きなまやかしがある。民主主義という建て前と、一部の上層階級が、大多数の大衆を支配する階級社会という現実を、いかに調和させるか(の)・・手段として発達したのが、プロパガンダによる大衆の操作であった。・・大多数の大衆にとって不利な政策や決定を、大衆がやむを得ないのだと納得したり、さらに操作がうまくいけば、熱狂的な支持を与えたりするよう導いてきたのである。大衆は不適切な判断材料しか与えられず、政府にとって都合の悪いことは隠され、しばしば欺かれることになった。・・階層社会であるアメリカには、大衆の不満を吸収し、解消するための「はけ口」が絶えず必要であった。・・それに露骨に利用されてきたのが、言うまでもなく、愛国心と戦争である。(p.174)
万能対象への希求と妄想型社会の危険
危機感を募らせた(被害)妄想型社会(では)・・人々は社会の外側にも、内側にも監視の目を光らせ、仮想の敵に対して、せっせと護りを固める。都市には無数に設置されつつある監視カメラも、社会がこうした方向に向かう一つの兆候である。それは一つ間違えば、市民のあらゆる行動を監視する手段にも利用されうる。「監視カメラが守る社会」が個人のプライバシーや自由よりも安全を優先することは、別の危険を孕んでいる。(p.220)
人々がやがて現実を知って幻滅する頃には、支配の座についた者は、居心地のいい椅子に未来永劫留まりたいと考え始め・・排他的な教義やイデオロギーの刷り込みと、異端分子の徹底的な粛清・排除が行なわれる。(p.223)
自己愛型社会の行く末
戦後、日本はアメリカのものはすべて進歩したもの、優れたものとしてありがたがり、盲目的に取り入れてきた。・・アメリカ社会の抱える矛盾と問題が目を覆いたくなるほどひどい状況になってさえ、なおかつアメリカの文物を絶対の真理であるかのように、取り入れようとする傾向が見られる。(p.230)
失われる父権と飼い馴らされる若者たち
ローマ帝国では帝政というシステムが安定すると・・若者たちは、崇高な理想のためではなく、目の前の安楽と興奮を追い求めることに日々を費やす。今やノンポリ化した若者は・・政府が提供するゲームで破壊的衝動を発散したのである・・そうした中で、ローマには現世的快楽主義と拝金主義がはびこるようになる。自己愛の充足に価値を置く社会の当然の帰結である。人々は欲望のために狂奔した。(p.p.61-62)
万能感に操られる戦争
数多の民族を征服し、無数の町を破壊した大帝国も、例外なく終焉のときを迎える・・宿敵カルタゴを滅ぼし、燃え落ちる町を見ながら、ローマの将軍スキピオは呟いたという。「勝ち誇るローマも、いつかは同じ運命に見舞われるだろう」と。(p.197)
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関連書籍:
岡田尊司『あなたの中の異常心理』
(観客の女性に、勃起したペニスを見せるようになった、動物園の)サル同様・・(性交せず)ディスプレイ行動だけで満足するようになり、それがいつのまにか、自己目的化したのが露出症といえるだろう・・ディスプレイ行動自体にも快感が伴なうためと考えられる。・・露出症の人は、人格的にも、どこか子供じみていて、虚言傾向があったり・・幼い頃の自己顕示的な欲望が満たされないことが・・根底にあるという説明は、おおむねうなずける・・。(p.72)
ここ何十年かの日本社会は、成熟した他者との関係を育むよりも、自己対象的な関係を長引かせやすくなっていると言えるだろう。それは一言で言えば、社会の自己愛化である。(p.196)
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