Thursday, May 1, 2014

纐纈 厚『監視社会の未来』

Kōketsu, Atsushi. Kanshi Shakai No Mirai: Kyōbōzai Kokumin Hogohō to Senji Dōin Taisei. Tōkyō: Shōgakukan, 2007. Print.

“監視社会の未来 : 共謀罪・国民保護法と戦時動員体制”

『警察白書』の二〇〇四年度版には、以下のような記述が露見される。
 すなわち、「治安の回復には、警察のパトロールや犯罪の取り締まりだけでなく、警察と関係機関、地域住民が連携した社会全体での取り組みが必要である」と。市民の治安問題についての関心を引き出しながら、その対応策として、要は警察への住民協力から、さらには住民相互の連携、そして相互監視が暗に仄めかされている
警察や政府が煽る危機感それ自体は、メディアや口コミなど、様々な媒体を経由してもたらされる。一市民のレベルでは、必ずしも確認のしようのない危機の対象が市民社会に広がっていき、やがて危機意識となって市民の深層に沈殿していく。それが、ある種の政治的思惑から政治利用される。その結果としてこの国の社会が監視社会としての性格を色濃くしていくのである。
国家が監視社会のレールを敷き、その実行部隊として警察が先導者となって、地域社会に安全対策と称して様々な住民組織を立ち上げていく。それは学校や病院などの公的空間に留まらず、家庭など私的空間にまで及ぶ。安全対策や危機対応という、それ自体否定しがたいスローガンの前に、数多の地域住民が動員されていく。
・・・「国の力」によって、監視社会がつくり出されているのである。(p.p.12-13)

国民保護法の危険な内容について先に述べたが、強調しておきたいことは、それが“国民動員法”であると同時に“国民監視法”でもあることである。また、そこに通底する国民管理や国民監視を当然視する文言や論理なども繰り返し注目しておきたい。戦前期の軍機保護法が、軍機保護を理由に、国民の日常生活への監視を強め、さらには国民間の相互監視を暗に進めた。すなわち、密告や通報が奨励されたのである。
・・・自らがスパイ視されることを回避するために、隣人をスパイ視し、自らが公権力に忠実であることを実証しようとするまでに、結果的に国民相互監視に不信や猜疑心を醸成する結果となった。それがまた、諸個人の自由で主体的な発言や行動を自粛させ、自己規制に走らせたのである。
実は軍機保護法は、直接的な意味で軍事機密を保護すること以上に、実際には国民監視網を全国津々浦々に張り巡らせることで、言うならば手っ取り早く国民監視し、国家への従属を強めさせ、国民の生命と財産を危険にさらすであろう国家政策の実行を円滑にさせるための法律であった・・・。
それと同じように、国民保護法も、国家の安全と安定を保護し、保守するという文言を掲げながら、最終的には国家政策の確実な運営を目的としたものといえる。その意味で国民保護法とは、「戦後版軍機保護法」と言っても決して過言ではない。

・・戦前国家であれ戦後国家であれ、戦争を可能とする国家であれば、国民の管理・統制には積極的な姿勢をとるものであることを歴史が示している。そして、国民の管理・統制が現実に効果を発揮しているかを確認し、さらには管理・統制が必要とされる成果を獲得するためにも国民監視が日常生活の領域であっても及ぶのである。

国民監視は直接的な肉体の痛みを伴なわないものである。それに気づかないか、たとえ気づいても、国民の安全のためという権力の説明に納得してしまうのである。そのためにも、軍機保護法や国民保護法などの、いわゆる防諜法が違反事例を数多打ち出すことで国民への恫喝をかけ、監視の実態を赤裸々にすることで、自由と平和を求めるはずの国民の声を塞いでいった歴史を読み解かなければならない。(p.p.242-244) 

1 comment:

n said...

さて上記記事の書籍タイトル部分の文字が非常に乱れておりますが、これはまさに「国民監視」を行なっているサイコパスたちによる、いつもの嫌がらせでございます。

この記事を読めば、犯人は「監視国家」づくりの「実行部隊」となっている職業のオッサンたちであろうことは容易に想像がつきますね。

消費税が10%になる日本の皆様におかれましてはご愁傷さまですが、せめてこのオッサンたちが、皆様の血税をあてがわれている勤務時間中にこんなことをやってないことを願いつつ、このどうしようもない権力犯罪のオッサンらを、これからもナマ暖かい目で見守ってやりましょう。