Friday, July 11, 2014

テイラー『洗脳の世界』

Taylor, K. E., & Satō, K. (2006). Sennō no sekai: Damasarenai tameni maindo kontorōru o kagakusuru. Tōkyō: Nishimura Shoten.

原書:Taylor, K. E. (2004). Brainwashing: The science of thought control. Oxford: Oxford University Press.

Kathleen Taylor -Brainwashing:The Science of Thought Control


第十二章 犠牲者と捕食者
・・・気づかないうちに行なわれる段階的な洗脳は、最も用心深い前頭前野でさえすり抜ける。たとえそうであっても、一部にはもっと用心深く抵抗力の強い人もいる。ある人の脳が攻撃されやすく、ある人の脳は感化に対して抵抗性[が]あるという違いは・・すでに持っている認知ウェッブの数、それら認知ウェッブの強さと、立ち止まって考える能力という三つの点が相互に関連し合い形成されていると考えられる。(P.276)
 
認知ウェッブを変化させる

認知ウェッブの数
 
認知ウェッブで満たされ、刺激をさまざまな柔軟な方法で処理できる豊かな認知の風土(環境)は、洗脳者が新しい信念を押し付けることを難しくする。・・神経活動を入力刺激から出力反応へと流す際に、選択できる経路が多いほど、個々のシナプスは弱い傾向がある。
認知の風土を豊かにする、年齢、教育、創造性、人生経験が感化[洗脳]の専門家に抵抗できるのはこのためである。ヒトの頭の中のニューロン間の結合は数が固定されたものではなく、積極的な認知[活動]は新しいシナプスを形成することができ[る]。(P.277)

・・拷問の被害者は、特別に大切にしている認知ウェッブ ― 宗教的信念や愛する人のイメージ ― を活性化し、それに命をかけて助けを求めることによって強制力に対処することが多い。巧妙な強制が残忍性と思いやりをしばしば併用するのはこのためである。・・表面的な思いやりは、苦痛よりも、被害者の抵抗を破るのに有効になり得る。朝鮮戦争で捕虜になったひとりのアメリカ人は・・彼を捕らえた者が彼を殺す直前まで拷問を行なったにもかかわらず、しばらくすると「死にそうになると助けてくれたので、命を救ってくれたことで彼らに感謝するようになった…。彼らはこれを思考過程全体が消耗してしまうほどに繰り返し、私は彼らが望むことをなんでも喜んでするようになった」。長い間には、死の恐怖を与えるより、死から救うことがより有効な感化の武器になった。(P.P.277-278)

認知ウェッブの強さ
 
逆説的に、平均より認知ウェッブが少ない脳は洗脳されにくい。その認知ウェッブが特別に確立されている場合には特にそれが[当てはまり]、自分に信念を持っている場合には、信念を操作する商売人に対して少なくともある程度の防御になる。(P.278)

前頭前野の虐待
― 立ち止まって考える能力を迂回する

立ち止まって考える能力

われわれが[洗脳者による]感化の試みをいかに有効に検出し抵抗するかは、前述のように、我々の認知の風土の豊かさに依存している。それはまた、われわれの認知ウェッブがいかに強く活性化されているかにも依存しており、強烈で単純な刺激や強力な感情のエネルギーがあふれ出る場合には、自分を立ち止まらせる暇もなく行動が発現してしまう。・・脳はそれ自体が最も[関心を持つべき]ことに気づいてそれを選択するような、完全に合理的な計算装置ではない。・・感情に依存しすぎるとわれわれは誤ってしまう。行動へのショートカットとしての感情の役割は、より大きな長期的利益ではなく、短期的な気ままな方向への決定に重きを置きかねない。(P.279)

第十四章 科学と悪夢

[脳に変化をもたらす影響は]伝統的な科学的分類法によっていくつかに分類されることが多い。物理的影響には放射線、電磁波(視覚イメージ、温度変化、磁場などを含む)と、最近言われている量子効果が含まれる。・・化学的影響は神経伝達物質、ホルモン、食物、薬物が含まれる。これらの物質のあるものはニューロンに直接作用し、他のあるものは体内で別の活性体に変換される。・・またあるものは細胞膜を通過してニューロン内部の機能に影響する。それら内部機能にニューロンの遺伝子が含まれる場合には、それらに影響する物質は遺伝的影響に分類される。最後に社会的影響があり、言語、文化、対人関係などの包括的なものである。
遺伝的影響同様、社会的影響も脳の電気化学的変化によると考えられている・・脳の変化をもたらす影響はすべて、基本的には脳の電気化学を変化させることによって作用するという仮定は安泰のように思われる。(p.308)

物理的影響
脳を変えようとする感化[洗脳]の専門家は理論的には二つの選択肢を持っており、脳自体に対する直接的操作脳に接する環境に対する間接的操作である。実際には、精神の変化を目指した試みのほとんどには環境の変化が関与している。CIAがマインドコントロールのために試みたことの多くは、このような間接的タイプで、感覚剥奪、ソビエト方式による訊問法などである。
同時に多数の人々に影響を与える力を持つことが明白な環境変化には、テレビやインターネットなどマスメディアの発達がある。・・脳科学者スーザン・グリーンフィールドは、その著書『Tomorrow’s People』(未来の人々)の中でマスメディア技術がさらに進歩して精巧な仮想現実の世界が発達すると、どんどん幼児化した刺激反応性でしかも非社会的な消費者、その需要のすべてが予測可能なためどこまでも監視し続ける情報技術に満足するような消費者を生み出すと予測している。

二十世紀には・・直接的介入という別の方針が選択された。ワイルダー・ペンフィールドなどの脳神経外科医が患者の脳に電流を与えると感覚、運動、記憶などに変化が生じることを発見して以来、例えば脳や体に埋め込んだ電極で人間を直接コントロールするという考えが、コントロールしたいと強く思うわれわれの一部には極めて興味深い可能性に思われた。もっとも最近では、経頭蓋磁気刺激法trans-cranial magnetic stimulationが発明され、それは脳に直接磁場を加えることによって、広い範囲のニューロンを(一時的に)阻害するものである。動物の簡単な行動のコントロールが試みられ、それはいくらか成功し、ペンフィールドが示しているように、人間も簡単な行動ならばこの方法の対象になるかもしれない。(p.309) 



Jose Delgado's chip

[脳の血流変化を観るfMRIと脳の電磁場変化を測定するMEGは]どちらの方法も、大量のニューロンの塊をまとめた描写以上のことはできないが、そのような粗いレベルの分解能[力]でも、得られるデータの量は現在の情報技術と統計分析の可能性を拡げるものである。われわれが知るかぎりにおいては、これらの方法論の問題は原則的に解決不可能というわけではない。しかし現実には、神経画像診断法が正確なマインドコントロールに利用できるようになるためには、さらに進歩が必要である。
それにもかかわらず、いつの日かわれわれは、生きているヒトの脳内の明確な認知ウェッブを分離[して操作]するのに十分な精度とコンピュータ能力を獲得し、特定のヒトにおいて、ある刺激に反応する個々の神経回路を追跡することが可能になるであろう。(p.310)
 
ジェームズ・ティリー・マシューのAir Loomは、感化[洗脳]の機械の現代的着想として最初のもので、被害者の脳に強力な光線を当てるものである。未来のAir Loomは、電磁波照射を利用して、ある種の認知ウェッブを実行しているニューロンに影響を及ぼし[たり]、あるいは消滅させ[たりす]るかもしれない。ナノテクノロジーがもたらす極小機械が注射、皮膚への接触、食物、または入浴によってでさえ体内に入り、標的[にされた]ニューロンを探して破壊し[たり]、あるいはニューロン間のシナプスを調整[したり]するかもしれない。おそらく活動的な認知ウェッブを抑え付けて従わせるような正確な経頭蓋磁気刺激法が確立されるかもしれず、ナノ電極がイオンの流れを微妙に調整したり[することによって]、量子の世界からはこれまで考え[られ]もしなかった技術が生まれるかもしれない。(p.311)

機械的、有機的影響

・・個々の認知ウェッブを標的に[して操作]する[に]は、やはり生きている脳を[直に]妨害しなければならないと考えられる。前述の物理的影響の一部は秘密の操作――被害者[を]比較的拘束[せ]ず、理想的には妨害が気づかれない――には適しているが、外科的操作は、強力な権威(国家が支援する医師)に対して、狂気や反社会性・・という批判が浴びせられることになる。・・[しかし被害者の]同意があってもなくても・・脳神経外科医や精神科医はおそらく[脳を操作するための]ずっと精巧な道具を使えるようになるであろう(p.311)

・・反抗する[人の]認知ウェッブ、[支配者から見て]困った信念など・・を除くために、微小ロボット、正確なレーザー、強大なコンピューター性能を利用するかもしれない。神経インプラント―技術的には可能である―は、・・中脳水道周囲灰白質の圧上昇や、側頭葉の嵐などを予測することによって、ある種の行動を、それが起こる前に警告できるかもしれない。・・・社会の成熟を中傷し、技術のマジックを賞賛する西洋の現在の傾向から考えると、われわれが努力より安易を、長期的解決より迅速な修理を好む[ため]、社会的な問題に対してさえ、社会自体を変えようとするのではなく、医学[の]問題[に]し続けると思われる。(p.p.311-312)

化学的影響

問題のある認知ウェッブに関与する[シナプス]が他の[シナプス]と区別され標的になると、ニューロンに障害を与えることによって、その認知ウェッブに影響することができる。細胞の近くに送り込まれたウイルス、荷電を持った粒子を投与することによる細胞の電気化学的バランスの崩壊、細胞内機構の障害や細胞死の誘発、これらはすべて・・個々のニューロンに対して使うことができる。
もっと大きなスケールでは・・シナプスを基底状態にまでリセットすることによって脳を機能的に除去することがいつの日か可能になるかもしれない。・・・もちろん、薬剤が活性を発現している間に他の認知ウェッブに対する副作用的障害が起こることもある。しかし国民に対してそのような技術を用いることのある社会であれば、副作用的傷害は受け入れ可能な対価と考えるであろう。(p.313)

遺伝的影響

生科学や細胞生物学の知識を拡大すると、将来の脳科学者は間違いなく、遺伝学研究がもたらす豊富な感化[洗脳]能力の可能性を考慮に入れることと思われる・・遺伝子のオン、オフがいかにして生きている脳を発達、変化、障害させるのかを多くの科学者が理解しようとしている。(p.313)


Optogenetics: Controlling the brain with light

どの遺伝子がシナプスの可塑性をコントロールするかを理解するようになる―そのようなプロジェクトはもう始まっている―と、どの信念をどの程度強く維持し、どの記憶を保持または消去し、どの行動を概念化するかまたはイメージ外に押しやるかをコントロールすることができる。・・われわれは、ある種の信念を持つようになるばかりではなく、それを変化しないように「固定」し、全く動じない究極の独断を創り出すことができるかもしれない。・・もしそのような技術が[一般人にも]はっきり見えるようになる前に利用される場合には警戒が必要で、人々は、本人が気付かないうちに少し調整しただけで乱暴な考えを除去できるような[技術を裏で使う]、悪意に満ちた人のなすがままになってしまう

・・われわれの心はプライバシーを失って・・おそらく未来の法律には、[支配者にとって]不都合な考えを[人々の脳から取り]除いて不都合な行動を防止するため、強制的な脳の矯正が含まれ・・リスクの高い人にはインプラントを利用して、[脳の]遠隔監視と操作が行なわれるようになると思われる。・・・
もう一つの可能性は「嗜癖工学」で・・インプラントを利用してある人をなんらかの薬物に依存した状態にし、その薬物を提供する人に従属させるのである。(p.315)

 遺伝子操作は別の応用が考えられる。もしウイルスベクター(それ自身の遺伝情報の他にDNAを挿入されたウイルス)を使って、政敵の脳に対し自分自身を疑うようにすることができるならば、長いお金のかかる選挙運動は必要なくなるであろう。政敵の前頭前野に正常では静止しているある種の遺伝子のスイッチを入れるための情報をベクターに運ばせて、相手の行動に壊滅的影響を及ぼし、自分ではほとんど努力せずに、[政敵に対する]問題を解決すればよい。[敵の脳に送り込む因子として]アルツハイマー病、パーキンソン病など[悪夢のような]神経疾患が武器として使える。病気を意図的に起こすことは、国家がある種の犯罪を罰するのに使うことさえあり得る
 
・・もしそのような技術が可能であるものの、[道徳的見地から]決して実施されないとすれば、[人工的疾患を武器として使う]その考え方が・・次に挙げるような人間の他の行動と異なると言えるのだろうか?・・歴史を見るとアウシュビッツやタスキーギ、原子爆弾、生物・化学兵器、反逆者の四つ裂き、「魔女」の火あぶりなど多くの恐ろしい例がある。[人工的に]病気を起こす方法による死刑を宣告することは・・いまだ越えられたことのない倫理的一線を越えるものではない。(p.316)

社会的影響

主観的自由と客観的自由は同一ではない・・が、注意をそらされていたり、疲れすぎていたり、忙しかったり、あるいは怠慢なために、自分達の制約された生活に気付かないのである。・・政府はわれわれのEメールを読もうとし、スーパーマーケットではわれわれの買い物を記録している・・われわれは客観的自由を放棄し、友人に話す代わりにインターネットで匿名のチャットに参加し、仲間からのプレッシャーによって・・有名人の話を読み・・虚構の代替に満足する。どんどん順応的になり、感化[洗脳]の専門家にとってはますます予想通りになっても、われわれはこれまでにないほど自由であるという個人主義者のメッセージを信じている。(p.317)

人々は客観的自由を放棄して見せかけの自由を得る代わりに、自分達の生活を他人の手に任せるよう説得されるのである。・・・われわれの自由の感覚は基本的な感情的反応であるが、それが[具体的な行動、つまり](自分の心を表現したり、好きな所へ行くなど)と結びつくには学習されなければならない。[洗脳者の]ひとつの策略は、この連結を切断し(または最初から造られなくし)、例えば自由に話す権利が侵害されてもリアクタンスが刺激されないようにすることで、[自由の侵害に対する]脳の警告シグナルを不活性化することである。そうすると感情的反応も無く、[ニューロンの発火]を消す必要も無い― あるいは[支配者が力で鎮圧することも無い。・・・将来的には、この連結の、神経的基盤を特定し、われわれの精神から[自由の侵害に抵抗する意思を]完全に除去できる[方法]をわれわれは― またはわれわれをコントロールする人が― 持つようになるだろう。(p.319)

・・CIAが十分知っていたように、ある人達は例外的に影響されやすく、彼らを標的にした精神操作は努力に値する。しかしながら集団の[マインド]コントロールには目の粗いフィルターを用いる必要があり、例えば個々の認知ウェッブではなく、脳全体に影響を与えなければならない。しかし、この大まかな種類の感化[洗脳]であっても有効な場合があり、人為的[に]感情を喚起して、次にそれを特定の刺激と結びつけるのには特に有効である(「桃体にちょっとした衝撃を与えると、それはオフになる…」)。このように脳の直接的操作と脳への入力の間接的操作を組み合わせることは、今日の技術が果たした有用な進歩であり、過激な政党などが利用したものである。(p.320)

まとめと結論

人間の心を探ることを目的とする科学は、内部に直接的にアクセスする方法を持っている。それらの科学では、脊椎の塔の頂上でバランスを保っている頭蓋の中を見て、驚くほど詳細にその変化を図示することができる。・・将来われわれはマインドコントロールの夢を実現する時が来て、少なくとも、個人の心を変化させることは可能となるであろう。
 
・・問題となるのは技術ではなく、それでなにをするかである― そしてそのことは、われわれがどのような考えを持ち、われわれの環境においてどのような信念が一般に受け入れられ、間違いを誰が判断するかに依存している。もしわれわれがいまだに恐怖と敵意をもって自分と異なる相手に反応したり、安全のために自由を放棄して、国家による支配と、国民の従属[の強制]を受け入れるならば、精神操作技術が社会ののけ者[のレッテルを支配者によって貼られた被害者]に適用されてしまう。その時点で、[被害者]より安全な状態にいる市民が抗議しなければ、マインドコントロールを崇拝する者達はその蔓を社会に広げようとする(p.322-323)

Saturday, June 14, 2014

西田公昭 『マインドコントロールとは何か』"What Is Mind Control?"

Nishida, K. (1995). Maindo kontorōru to wa nani ka. Tōkyō: Kinokuniya Shoten.



 意思決定という個人の内的な活動には、二種類の情報を常に利用している。…ボトム・アップ情報とは、情報処理時に五感を通じて外界から取り入れる情報のことである。つまり、意志決定中に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、皮膚感覚によって処理される情報のことをさす。一方、トップ・ダウン情報とは、それまでに前もって獲得されて記憶構造の中に貯蔵されている情報のことである。それは、つまり意思決定中に処理される「知識」や「信念」をさす。なお、心理学用語では、これら後者のトップ・ダウン情報を「ビリーフ」(belief)という。(pp.58-59)

…ビリーフとは、ある対象(人や事象)と、他の対象、概念、あるいは属性との関係によって形成された認知内容のことをさす。たとえば、「神が宇宙を支配している」「A型の人は几帳面だ」「政治家は腹黒い」「霊界がある」などである。日常的な表現でいうと、「信念」だけでなく「知識」「偏見」「妄想」「ステレオタイプ」「イデオロギー」「信条」「信仰」などがそれにあたる。人は、こうしたビリーフをさまざまに多く所有し、自らの経験に即して整理し、構造化して、システムを形成しているのだ。(p.74)

 ビリーフ・システムは情報を満載した図書館のようなものであり、一つのビリーフが一冊の本である。そしてビリーフの構造化とは、図書を分類して書架に並べるようなものだ。…図書館利用する人は蓄積された、膨大な図書の中のいくつかの書架から、必要ないくつかの本だけを利用する。人間のトップ・ダウン情報の処理でも、ビリーフ・システムのうちのごく一部のある「まとまり」をなしたビリーフの群が用いられている。そのまとまりのことを、心理学の用語では、「スキーマ(schema)」と呼んでいる。

 スキーマという概念は、研究者によってその用い方にやや違いがあるが、私は、いま述べたように、記憶構造内の膨大な情報を構造化したビリーフ群のことを示す概念と考えている。いうなれば、それはある特定のテーマに基づいたデータの集積であり、ある特定の何かを考えて判断するために必要な構造であると考えられる。
 人は、人、事物、状況、出来事、行動についてなど、さまざまなスキーマを所有していると仮定できる。たとえば、いま話をしている相手がどういう状態にあるかの意思決定をするとき、その人の顔を見て、目、鼻、口の形状などのボトム・アップ情報を使ってその特徴をとらえようとする。また、あるいは相手がだれかわからないときにはそれまでの経験から築いた人物ファイルのなかの、どの知人の顔の特徴に合っているかを探すだろう。また笑い顔とか泣き顔であるとか、女性と判断される顔なのか男性と判断される顔なのかといった具合に、「人」を判断するための特定のスキーマから、さまざまなトップ・ダウン情報が処理される。(pp.75-76)

…なぜ個人はスキーマをつくっているかといえば、おそらく意志決定という作業を、的確に迅速に処理するためであろうと考えられる。…われわれの思考という作業は、まず、適切なスキーマを探し出すことにあるのだ。…図書館に譬えれば、役立ちそうな書架の前に立って本を見つめているようなものだ。これをスキーマの活性化という。(p.78)

ケリーがおこなった印象形成の実験[Kelly, K.H., 1950, The warm-cold variables in first impressions of persons. Journal of personality]やロスバートとビレルの印象形成の実験[Rothbert, M. & Birell, P., 1977, Attitude and the perception of faces. Journal of research personality]では、ターゲットの人物の印象が、実際にその人物を見て情報処理する前に与えておいたいわゆる「先入観」の情報に影響されることを示した。つまり、ある特定のスキーマを活性化させておくことによって、トップ・ダウン情報を操作し、ボトム・アップ情報の処理がある特定の方向へ誘導された。

…このように、人の第一印象は、前もって活性化されたスキーマによって左右されてしまうといえる。たとえば、破壊的カルトと目される組織のトップ・リーダーの顔を見たとき、そこに深い慈愛や神聖さを見てとるか、利己的な残忍さや冷酷さを見てとるかは、その判断する人がその集団に深く浸透している人なのかどうか、その人がその組織を反社会性の高い集団とみなしているかどうか、によって影響されるのである。つまり、他者の印象判断は、「良い人」のスキーマか「悪い人」のスキーマのいずれが活性化し、意思決定に強く影響しているかによって左右されるのである。もちろん判断した本人は、このような教示の影響力に気づかない傾向にある。ある破壊的カルトの場合、説得的なメッセージの送り手となる人物を、他の人が前もって最大限の美辞麗句をもって称賛しておくことをマニュアル化している。(p.p.78-80)

…人間は、五感によって得ている情報(ボトムアップ情報)を、自分のビリーフ(トップ・ダウン情報)に照らし合わせて、ある判断や決定を下している。ということは、逆に個人が常に用いている二種類の情報を制すれば、個人の認知(思考)、感情、行動を操作することも可能となる。

…このボトム・アップ情報を操作するマインド・コントロールのほうを「一時的マインド・コントロール」、トップ・ダウン情報あるいはトップ・ダウン情報とボトム・アップ情報の両方を操作しようとするそれを「永続的マインド・コントロール」と区別して呼びたい。
「一時的コントロール」は、個人のいる場にはたらく拘束力を利用する。つまり、ある個人の置かれた特定の状況における判断や行動の操作を目的に、外部環境からの情報をコントロールする。したがってその影響力は後々には影響せず、「その場限り」あるいは「その状況下」だけのものである。一方、「永続的コントロール」は、意思決定のための「装置」までも変容し操作してしまうので、個人のいる場に関係なく影響を与えることができる。


…操作者がこれら二種類の情報を完全に制することができれば、人が論理的に情報処理する限り、思い通りの意思決定をさせることになる。…しかし、それでもやや完全な論理性を持っていないのは、もう一つ重大な「こころ(マインド)」の要素である感情のシステムからの影響があるからだと考えられる。ところが破壊的カルトは、この感情のシステムの影響をも、一定の方向へコントロールしようとする。

…マインドコントロールを一言でいえば、それは、ボトム・アップとトップ・ダウンの二種類の情報を統制することによって、個人の精神過程および行動の完全なコントロールをもくろむものといえる。たとえば、「何かの料理をつくる」という意思決定をさせるのに、「料理の材料」と「料理道具セット」、ともに指定したものを使わせておいて、「自由に考えて好きな料理をつくればよい」と、言っているようなものである。もちろんいうまでもなく、食材と料理道具セットが指定されてしまえば、料理の内容はほぼ限定されてしまう。もしも新鮮な鯛が食材として選ばされて、使える道具が包丁だけしかなかったなら、まずほとんどの日本人なら、だれかに命令されなくても刺身を造るであろう。しかも「自分の頭で考えた」結果によってである。

 一方、「洗脳」をこの例にあてはめると、それは「刺身」という料理を直接命令し、その料理をつくるまで、身体を拘束したり薬物を投与したりするというものと比喩的に理解できよう。だから本人もふつう強制に気づく。

 マインド・コントロールは、個人がこのように通常おこなっている情報処理の特徴を巧みに利用しておこなわれるために、個人に選択の自由があるかのような幻想を見させることになり、本人やその周囲の人に気づきにくくさせてしまっている。(p.p.58-61)

[...]


ハッサンはマインドコントロール[に使われるボトム・アップ]情報を「燃料」にたとえている。(p.61)

[...]

ビリーフは記憶からつくられている。…古いビリーフ・システム[は]発達こそしないがほこりをかぶった古い機械のように、思考の作業場の片隅に放置されているような状態と考えられる。・・・つまりビリーフ・システムの変換というのは・・・単に新しいシステムを形成させて活動させ、なお古いシステムを活動させないでおくというようなものである。(p.82)

マインド・コントロールでは、操作者は、思考の「装置」に、こっそりと操作者に都合の良い新しい「道具セット」をもちこむ。…つまり操作者は、新しい思考をさせるための新しいビリーフをセットにしてもちこんで、思考の「装置」に組み込ませ、新しい「装置」をつくる。そして「古い道具セット」を片づけさせて、使わせないようにさせる。

マインドコントロールへの抵抗と防衛、そして現代社会
How to Protect Yourself from Mind Control (excerpts)
  (1)時と場合によっては、規範を逸脱する実習をする。「ちゃんとしていないと相手に悪い」とか「きちんとしよう」と必ずしも思う必要はない。
(2)「私がまちがっていました」「すいません」「私が悪かった」とあやまる実習をする。人は、つい自分をよく見せようとしすぎて、相手の勧誘に断れなくなることがある。途中で自分の本心とちがう誘いであることに気づいたら、直ちにその場から逃げ出すようにしよう。
(3)卑近な問題や状況を「型にはめる」ために用いる、ものの見方に注意を払おう。そのような他人のものの見方を受け入れてしまうと、その場において、相手を優位に立たせてしまう。・・・
(5)人は他者からの愛や行為に弱いものである。いかなる対人状況であっても、相手と少し距離をおき、相手や自らに対して「私は、あなたがいなくても、ひとりでやっていける」と言うのをいとわないことである。
[ (5) People are vulnerable to mind control techniques that are camouflaged with affection or kind actions. You should keep distance from any kinds of relationships, and do not mind saying to them: “I can be independent from you.” ] 

(6)どうすべきかが明白でないとき、不確かな行動をすぐにとるのではなく、時間をおき、歪曲の無い公正な意見を得てから行動しよう(註:エポケー)。答えを保留することは、恥ずかしいことではなく、そこには否定的な意味は何もないと知るべきである。・・・
(8)役割関係、制服、権威の象徴、集団圧力、規則、見かけの合意、義務、コミットメントなど、強いて従わなくては行けない様な、いかなる状況の拘束力にも敏感になろう。・・・
[ (8) In whatever circumstances, be cautious to power such as social roles, symbols of authority, uniforms, peer pressure, which would bind you to obey.]
(14)重要な評価や判断をするときには、少し冷めた目で、一歩さがってみつめ直そう。策略をめぐらす人との接触においては、感情移入しないことが肝心。
[ (14) In an important decision-making and judging, step back and cool yourself down. Don’t get empathized with people who play tricks on you.]
(15)みせかけの動機に惑わされたときには、貪欲さや自己を増長させるようなお世辞がマインド・コントロールしようとする者を調子づかせてしまう。最も自分が信頼している人なら、この場合、どう考えるだろうかと思い浮かべてみる。・・・
[ (15) Your greed and conceit generated by flattering will elate the person who attempts to mind control you. Imagine what the person whom you trust the best would think about this situation.]
(17)人は一般になれた情況では自動的に行動してしまいがちである。いつも自分が置かれている情況で、自分がやっていることに注意深くなろう

[ (17) Under whatever circumstances, be mindful to what you are doing.]

(18)時としては、行動に一貫性は必要としない。「信頼できる」人にならなければならないと固執してはいけない。
(19)非合法的な権威に対しては、いかなるときも拒否しなくてはならない。
(20)手続きや規則の変更が不公正に行われたならば、口頭での反対や情緒的な反対では不十分である。そうしたことに対して、従ってはならないだけでなく、公然と批判し、反抗し、挑戦すべきである。

・・・一時的マインド・コントロールに対処する場合、返報性、一貫性、好意性、希少性、権威性といった状況の拘束力に注意すべきである。もし、これらの社会的影響力が働いて、個人の自由度が限定されてしまわれそうな感覚を認知したなら、すぐさま、その場をとりあえず離れる努力をしたほうがよい。たとえ、そうすることによって失うものがあっても、それは一生の問題と比較すれば、大きな問題ではないとみなしてまちがいなかろう。
また、永続的マインド・コントロールに対処するには、何となく納得してしまいそうでありながら、どこかしっくりこない内容の話や、他者の合意、一方的な権威といった、社会的リアリティに注意しよう。そういう感覚を認知したなら、判断を保留にして、知る限りのあらゆる方法を用いて、さまざまなチャンネルからの情報を集めてみる。そして、決断を下す前に、それをできる限り、客観的に吟味しよう。特に、自分がよく知らない問題に対しては、いくら相手がそれにくわしそうであっても、また相手の意見を受けいれることですっかり個人的にはすっきりと問題が解決しそうであっても、そうした信頼は「装える」ことを知っておく。
さらには、何か集団のメンバーとなっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ。
(p.p.224 – 227)

Saturday, May 17, 2014

岡田尊司『あなたの中の異常心理』

 Okada, T. (2012). Anata no naka no ijo shinri. Gentosha.
(誰でも日常行為のなかに)他人の不幸を見るのが面白いという「覗きのトム」の快楽が潜んでいる。覗き見趣味は、現代では日常的な楽しみの一部、健全な娯楽となっているとさえ言えるだろう。
イラク戦争のときに、バグダッドの上空から、ミサイルで狙い撃ちされるトラックや建物が映し出された。まるでゲームの中の出来事のように破壊される映像を見て、失われる命やそれが生み出す多くの悲しみについて考えた人はどれだけいただろうか。むしろすごいなあという感嘆の声を聞いたものだ。
だが、そんな現代人においてさえ、覗きという行為が自己目的化してしまうと、「異常」とみなされてしまう。窃視症と呼ばれるもので、覗き見すること自体が目的化したものだ・・・。
現代では、窃視症もはるかにハイテク装備になった(が)・・覗き行為や盗撮で、教師や警察官といった公的な仕事を担う人が捕まるという事件が後を絶たない・・・。
しかし、スカートの中を覗こうとする涙ぐましい努力と、お茶の間でテレビカメラが映し出す惨劇の光景をご飯を食べながら見るのと、どちらが異常かと問われれば、考えこむ人もいるだろう。(P.P.78-79)

スタンフォード監獄実験は、人間には支配しようとする強い衝動があり、それが密室的な状況では、暴走しやすいことを示すものである。家庭内暴力や虐待、イジメにおいては、まさにこの状況が現出していると言える。支配する側は、あたかもそれが正当な「努め」のように思い込み、相手に服従を求め、刃向かえば暴力をふるう。それが長期にわたって続いてしまいやすいのは、暴力によって支配する側が、支配という快感を得るからであり、表沙汰にならない限り、そうした行為をすることによって不利益や苦痛といった罰則が生じないからである。
 権力の座に就いたものが、それを手放したがらないのも、そこに麻薬的な報酬が存在するからだと考えれば、納得がいく。(P.134)

 なぜ人はイジメをするのか。イジメをめぐる多くの議論が忘れていることは、イジメには強烈な快感が伴なうということである。いじめている側は、面白くてたまらないのである。・・いじめる側にとっては、いじめられる相手は、快感を与えてくれる麻薬のような存在なのだ。・・相手をいたぶることを麻薬の代わりに用いているのである。(p.p.57-58)

 そこには短絡的な快楽回路ができあがり、無限にループしつづけるのである。その短絡的な円環において、他者は排除されている。相互的で共感的な他者とのかかわりはない。自己目的化した快楽の追求は・・ますます歯止めを失いやすいのである。(p.67)

 だが問題は、なぜそうした悪の快感にはけ口を求めなければならないのかということだ。破壊的な行動に耽るとき、必ずその人自身も危害を加えられる体験をしたり、阻害された思いを味わっているものである。愛され、大切にされている存在が、そうした行動に耽ることはないのである。(p.63)

 (観客の女性に、勃起したペニスを見せるようになった、動物園の)サル同様・・(性交せず)ディスプレイ行動だけで満足するようになり、それがいつのまにか、自己目的化したのが露出症といえるだろう・・ディスプレイ行動自体にも快感が伴なうためと考えられる。・・露出症の人は、人格的にも、どこか子供じみていて、虚言傾向があったり・・幼い頃の自己顕示的な欲望が満たされないことが・・根底にあるという説明は、おおむねうなずける・・。(p.72)


ここ何十年かの日本社会は、成熟した他者との関係を育むよりも、自己対象的な関係を長引かせやすくなっていると言えるだろう。それは一言で言えば、社会の自己愛化である。(p.196)

Wednesday, May 7, 2014

池田整治 『脱・洗脳支配』

Ikeda, S. (2012). Datsu sennō shihai: Nihonjin no shisan to shikō o ubau maindo kontorōru no subete. Tōkyō: Tokumashoten.

・洗脳支配 : 日本人の資産と思考を奪うマインドコントロールのすべて

 体にマイクロチップを入れて、家畜のように管理する計画も彼らのシナリオ(彼らが呼ぶところの“アジェンダ”)にあります。
・・既存のキャッシュカード、クレジットカード、運転免許証、健康保険証等は統合され、スマートなIDカード化されます。個人情報を統合するわけです。
同時に支配エリートが考えているのは、近い将来、現在のお金(紙幣・貨幣)を消滅させるシナリオです。電子マネー・電子チップ化、ポイント化、ビット化・・すべてはここに集約するための壮大な作業だったわけです。お金と情報(註:特にプライバシー)を奪うと、人間はたやすく隷属化できることを彼らは知っています
このカードが最終的には、個人認証チップとして人体に埋め込まれるというシナリオです。そんな権力者にとって大変都合のいい「家畜監視社会」を強化するために、支配エリートは凶悪な殺人、性犯罪、違法薬物売買、巨額脱税といった、市民サイドから見て極めて好ましくない事件を意図的に起こす力を維持しています。(p.p.207-209)

地震兵器を含めた気象兵器は実在する

支配層が長けているのは、そこまでの準備のためにせっせと働く人々に「疑いを持たせない技術」を持つ点です・・軍事用語では、それを「区画化」と呼びます。区画化とは、特定のプロジェクトに関わるスタッフに対して、自分の役割に必要な分だけを説明する[こと]です。全体像、つまり本当の目的は見えません。
開発者たちも、まさか自分が人類(の人口)を削減する兵器を作っているとは夢にも思わないでしょう。(p.p.209-210)

Sunday, May 4, 2014

ワインスタイン『CIA洗脳実験室』


Weinstein, H., & Tomabechi, H. (2000). CIA sennō jikkenshitsu: Chichi wa jintai jikken no gisei ni natta.

ハービー・M・ワインスタイン著CIA洗脳実験室 ~ 父は人体実験の犠牲になった”

(臨床医であるはずの)キャメロンは自分の研究を実験と見ていた。自分の理論を証明するために、外部の機関から資金を受け取っていたことも、治療ではなく実験であった証拠だ。また、病院とは別に実験室を建て、方法論を発展させていたのである。これらは彼の処置が日常的な治療ではないことを裏付けている。(p.239)


MKウルトラ>のようなプロジェクトが過去のものだと、どうして言いきれるだろう。現在の情勢を考えると、CIAが自分たちは(自分たちの犯した罪に対し)付随的な責任しかないと言い張るのは驚くにあたらない。<MKウルトラ>の研究者の名前を明かさなくてもよいとした一九八五年の最高裁判所の決定や、国家安全の名目でCIAの情報を保護したその後の決定に支えられて・・一九五〇年代の体制に逆戻りしている。(p.259)

岡田尊司 『自己愛型社会』

Okada, T. (2005). Jikoaigata shakai: Narushisu no jidai no shūen. Tōkyō: Heibonsha.

プロパガンダに操縦される大衆

 アメリカの「民主主義」と称するものの、大きなまやかしがある。民主主義という建て前と、一部の上層階級が、大多数の大衆を支配する階級社会という現実を、いかに調和させるか(の)・・手段として発達したのが、プロパガンダによる大衆の操作であった。・・大多数の大衆にとって不利な政策や決定を、大衆がやむを得ないのだと納得したり、さらに操作がうまくいけば、熱狂的な支持を与えたりするよう導いてきたのである。大衆は不適切な判断材料しか与えられず、政府にとって都合の悪いことは隠され、しばしば欺かれることになった。・・階層社会であるアメリカには、大衆の不満を吸収し、解消するための「はけ口」が絶えず必要であった。・・それに露骨に利用されてきたのが、言うまでもなく、愛国心と戦争である。(p.174)

万能対象への希求と妄想型社会の危険

危機感を募らせた(被害)妄想型社会(では)・・人々は社会の外側にも、内側にも監視の目を光らせ、仮想の敵に対して、せっせと護りを固める。都市には無数に設置されつつある監視カメラも、社会がこうした方向に向かう一つの兆候である。それは一つ間違えば、市民のあらゆる行動を監視する手段にも利用されうる。「監視カメラが守る社会」が個人のプライバシーや自由よりも安全を優先することは、別の危険を孕んでいる。(p.220)
人々がやがて現実を知って幻滅する頃には、支配の座についた者は、居心地のいい椅子に未来永劫留まりたいと考え始め・・排他的な教義やイデオロギーの刷り込みと、異端分子の徹底的な粛清・排除が行なわれる。(p.223)

自己愛型社会の行く末

戦後、日本はアメリカのものはすべて進歩したもの、優れたものとしてありがたがり、盲目的に取り入れてきた。・・アメリカ社会の抱える矛盾と問題が目を覆いたくなるほどひどい状況になってさえ、なおかつアメリカの文物を絶対の真理であるかのように、取り入れようとする傾向が見られる。(p.230)

失われる父権と飼い馴らされる若者たち

ローマ帝国では帝政というシステムが安定すると・・若者たちは、崇高な理想のためではなく、目の前の安楽と興奮を追い求めることに日々を費やす。今やノンポリ化した若者は・・政府が提供するゲームで破壊的衝動を発散したのである・・そうした中で、ローマには現世的快楽主義と拝金主義がはびこるようになる。自己愛の充足に価値を置く社会の当然の帰結である。人々は欲望のために狂奔した。(p.p.61-62)

万能感に操られる戦争


数多の民族を征服し、無数の町を破壊した大帝国も、例外なく終焉のときを迎える・・宿敵カルタゴを滅ぼし、燃え落ちる町を見ながら、ローマの将軍スキピオは呟いたという。「勝ち誇るローマも、いつかは同じ運命に見舞われるだろう」と。(p.197)

Saturday, May 3, 2014

矢部武 『アメリカ病』

Yabe, T. (2003). Amerika-byō. Tōkyō: Shinchōsha.

報道されない真の米国社会

カリフォルニア州サンフランシスコでは、高齢の白人が通りかかりの中国系男性(裁判所員)の胸をステッキで突いて、「あんたが誰だか知っているわよ。どこで働き、どこに住んでいるかも知っている。これからあんたの後をずっとつけ狙ってやる。もちろんあんたの妻も子供もいっしょだよ。おまえら低俗なチンクスはさっさとこの国から出て行け!そして地獄へ落ちてしまえ!」と罵声を浴びせた。

・・それでもアメリカンドリームの神話は崩れることはない。それは主要メディアが五十万人とか百万人に一人ぐらいの割合で、貧しい国からやってきた移民(が)・・アメリカンドリームを実現したという報道をするからだろう。(p.194)

ゴードン・トーマス『インテリジェンス 闇の戦争』

Thomas, Gordon, and Satoru Tamaki. Interijensu Yami No Sensō: Igirisu Jōhōbu Ga Mita Sekai No Bōryaku Hyakunen. Tōkyō: Kōdansha, 2010. Print.

エシュロンとは何か

UKUSAというのは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏5カ国の間でジギントを分かち合うことを目的に作られた安全保障協定で、その存在は長い間秘密にされていた。・・地球上のすべての地域がUKUSAによってもらさずカバーされ(あらゆる電子通信を傍受され)ている。(現在では世界中の携帯電話の会話ももれなく傍受されているといわれている。)その機密性、包括性において、世界中に張り巡らされたNSAの監視網に匹敵するものはない。この監視網は俗に“エシュロン”と呼ばれ、通信衛星が送受信する地球上のあらゆる電波を傍受する能力がある。つまり、軍事通信に限らず、民間のあらゆる通信、銀行口座や病院の医療記録といった個人情報から企業秘密、企業の取引交渉なども、すべてエシュロンに読み取られている可能性がある。(p.p.183-184)


フランス首相エドゥアール・バラデュールがエアバス機の売り込みでサウジアラビアの政府高官に賄賂を贈っている証拠となる通信を傍受されて60億ドルの契約を失った事件もある。結局その契約はアメリカのボーイングが勝ち取った。・・さらに1994年には・・(アマゾン環境保護)監視システムの入札に関して、フランス企業とブラジル政府の間で交わされていた電話での会話をエシュロンが傍受し、NSAからその会話の内容を伝えられたアメリカのレイセオン社が14億ドルにのぼる契約を取ることに成功した。その他・・(世界各国で)エシュロンが商談を傍受することにより、EU諸国が取りそうだった契約をアメリカ企業に取らせることに成功している。(p.186)

Thursday, May 1, 2014

山本節子 『大量監視社会』

Yamamoto, Setsuko. Masu Sābeiransu Shakai: Dare Ga Jōhō O Tsukasadoru No Ka = Mass Surveillance Unlimited. Tōkyō: Tsukiji Shokan, 2008. Print.


大量監視(マス・サーベイランス)社会 : 誰が情報を司るのか = Mass surveillance unlimited”

変化した監視の「方向」

1.外から内へ:・・アメリカでは9・11以来、国民に向け(監視が)始められた(NSAの大規模盗聴作戦―ザ・プログラム)。
2.特定の人間から一般人へ:・・今や不特定多数の「大衆」をターゲットとするようになっている(クリントンの秘密指令―99年大統領決定指令)。
3.部分から全面へ:・・今や、政府が民間企業の膨大なデータ倉庫をこじあけ、そこに蓄積されたあらゆる情報をひとつにとりまとめ、「データ共有」がはかられている。
4.少数から多数へ:・・監視装置が限られた場所から、街全体、公共空間全体に広がった。・・新システムを用いることのできる人や組織は、誰でも監視が可能になった(情報の商品化)。
5.マンパワーから最先端システムへ:・・「電子の目」を生かした自動監視システムが採用されている。・・電話やパソコン通信、ネットサーフなど、ありとあらゆる通信を傍受できる能力があるといわれている(FBIのカーニボー、テンペスト→エシュロン)。
6.非合法から合法へ、隠然から公然へ:非合法だった政府のスパイ活動を合法化し、情報傍受を公然と行なうようになっている(エシュロン、CAPPSⅡ)。
7.「軍事」と「民間」の統合へ:アメリカでは「情報戦」を、将来の生き残りをかけた「心理作戦」と位置づけ、イラクの軍事作戦などですでに実行に移している。
8.「聖域」から「利用」へ:・・プライバシーが死後になりつつある。個人情報を含むすべての「情報」は、社会発展のための欠かせないファクターとして、「利用」が最優先されるようになった(アメリカ・愛国者法、アメリカ・スパイ法)
(p.p.131-133)

「公衆外交」といえば1953年に設立され、1979年に国務省に統合された米国情報庁(USIA:United States Information Agency)が有名だ。USIAの任務は、海外の一般市民(公衆)に直接働きかけて、自国に有利・友好的な世論を形成することにあった。いずれも「公衆」= publicという名称を含みながら、公衆に知らされていないのは、いかにも機密国家・アメリカらしい・・・その業務の目的は、敵対的な国の反米プロパガンダを破壊し、「海外の公衆に影響を与えること」によって、アメリカの外交方針を受け入れさせることである。そのためにIPIは科学、教育、文化など学術交流や、留学生の交換、市民同士の交流などあらゆるルートを使って、外国政府や機関、団体、個人に影響を与える―世論操作[する]―ことを目的にしている。世論を構成する主体として、一般市民は当然、この指令の重要なターゲットである。(p.150)

           Reference: History Channel History'S Mysteries Echelon The Most Secret Spy System

エシュロンは、冷戦中に開発された他の電子盗聴システムとは違い、軍事施設の監視だけを対象にしていたわけではなかった。そのため、それが見張る対象は、初めから、あらゆる国の政府、団体・組織であり、日常的に交わされる大量の通信を、今なお無差別に吸い上げ続けている
エシュロン参加各国は、それぞれの監視対象(人・企業・事件など)について、キーワードやキーフレーズ、人名や場所あるいは特定の電話番号やメールアドレスなどを記した「辞書」を作成し、配布する・・・エシュロン基地のレーダーは、地上を駆け巡る情報の中から検索タグを含む通信を識別すると、自動的にメッセージを取得[*つまり窃盗]して、それを求めるカスタマー(顧客:政府機関)に転送する。
・・「辞書」のほかに使用されているのが、NSAが作成した「ウォッチリスト」(監視リスト)だ。暗号名を「ミナレット」と言う・・何しろ対象はすべての情報である・・世界中を飛び交う雑多な通信― 個人的会話から、企業間の取引情報、外交通信に至るまで―を、専門のアナリストたちが、このリストにもとづいて監視しつづけていた。ベトナム戦争の頃には、アメリカ国内の反戦運動の高まりを恐れた政府によって、反戦運動家やそれを支援する著名人たち―映画俳優のジェーン・フォンダや、小児科医のスポック博士、そしてマーチン・ルーサー・キングなど―も軒並み「ミナレット」リストに入れられ、常時監視下におかれていた。FBIがキングに対して偽情報を送るなどして陥れようとしたのは、有名な話だ。
 ・・この巨大な盗聴組織にかかわっているのは、軍組織だけではない。NSAは、無線通信大手のITTワールドコミュニケーション、ウェスタン・ユニオン・インターナショナル、RCAグローバル社から盗聴許可を得て、何十年にもわたって国内、国際通信を傍聴していた。
「オペレーション・シャムロック」と呼ばれたこの盗聴活動の存在を明らかにしたのは・・アメリカ議会のチャーチ委員会だった。この調査委員会で、NSA長官は・・「NSAは国内・国際通信を、音声、ケーブル共にシステム的に傍聴している」と証言している。(p.p.158-159)

急速な技術の発達は、往々にして法制度を置き去りにしてしまう。その技術がもたらす「負」の側面を、社会が認識するにはかなりの時間差が生じてしまうのだ。その時間差こそ、先行する企業にとっては貴重な営利追求のチャンスとなる。(p.166)

 日本の企業活動に関して、エシュロンの仕業とされている事例はいくつかある。
ドイツの「シュピーゲル」誌は、1990年、インドネシアと日本のNEC社間で取り交わされる予定だった2億米ドルの取引についての通信を、NSAが傍受したと報じた。これにブッシュ大統領(当時)が介入し、契約相手はNECAT&Tに二分されたという。1993年には、クリントン大統領が、CIAにゼロ・エミッションとして発売予定の日本の車メーカーをスパイし、そこで得た情報をビッグ・スリー(フォード、ゼネラルモータース、クライスラー)に提供するよう求めたという。
ニューヨーク・タイムズは1995年、東京のNSACIA支部は、ジュネーブで日本の車メーカーと交渉中のアメリカ通称代表部、ミッキー・カンターのチームに詳細な情報を提供していたとリポートした。・・クリントン大統領は1993年、シアトルで行なわれたアジア太平洋経済会議(APEC)に大規模なマス・サーベイランス作戦を行なうようNSAFBIに命じたという。(p.167)

1999年11月に・・アメリカ・シアトルで行なわれたWTO第3回閣僚会議に、国内外から10万人もの人々が押しかけ、WTOの改革(あるいは解体)を求め・・会議は結果として流会になった。(クリントン大統領は93年同様、大規模)監視を行なっていたことはまちがいない。それにもかかわらずWTOは失敗した。その頃、欧米では、事実を報道しない大手のメディアを嫌う、「独立系」メディアが数多く生まれていたが、「普通の人々」は、そこから情報を得、そしてその呼びかけに応じてシアトルをめざしたと考えられる。・・アメリカ政府は、この失敗の教訓、そしてエシュロンの「発覚」から新たな「決意」を持つに至る。・・国内外で反発が強まったり、「地殻変動」や「革命」の危険にさらされたりすると、アメリカは常にある「解決策」に訴えてきた。戦争である。そして、そこに9・11事件が起きた。
そして状況は一変してしまった。アメリカは新しい仮想敵国を手に入れた。「テロリスト」という名の、実体のない敵である。ついで政府は「テロとの戦い」を名目に、考えられるあらゆる人間を公然と監視下におく条件を整えた。そして、実在しない大量破壊兵器を保有しているとして、イギリスと共同してイラク攻撃を開始し、ほとんどの国民の目をそちらに向けてしまった。国内ではパトリオット・アクト(愛国者法)をはじめ、軍・政府の監視を可能にする各種法令を矢継ぎ早に成立させている。

いずれもネット時代を意識した法令で・・ブロードバンドのプロバイダーなどに、インターネットの「盗聴窓」を開けておくように求めている[もとは電話盗聴が対象]。(p.p.170-171)

斉藤貴男『「心」が支配される日』

Saitō, Takao. "kokoro" Ga Shihaisareru Hi. Tōkyō: Chikuma Shobō, 2008. Print.


地下鉄監視カメラ実験

東京メトロに・・人々の何もかもを見つめるテクノロジーが導入された。監視カメラで撮影した人間の映像と、あらかじめ用意してある顔写真データベースとを照合して、その人物の身元を瞬時に割り出す「顔認証システム」がそれである。

・・・主体は国土交通省の外郭団体である(財)運輸政策研究機構。使われたシステムはアメリカ製で、実際の運用や評価にはNTTコミュニケーションズの技術陣が当たった。・・誰がいつ、どこに、誰と一緒にいたのかがすべて把握されてしまう究極の監視テクノロジーが、今後、いつどのような形で張り巡らされることになるのかは、なお不透明なままである。(p.p.212-214)

纐纈 厚『監視社会の未来』

Kōketsu, Atsushi. Kanshi Shakai No Mirai: Kyōbōzai Kokumin Hogohō to Senji Dōin Taisei. Tōkyō: Shōgakukan, 2007. Print.

“監視社会の未来 : 共謀罪・国民保護法と戦時動員体制”

『警察白書』の二〇〇四年度版には、以下のような記述が露見される。
 すなわち、「治安の回復には、警察のパトロールや犯罪の取り締まりだけでなく、警察と関係機関、地域住民が連携した社会全体での取り組みが必要である」と。市民の治安問題についての関心を引き出しながら、その対応策として、要は警察への住民協力から、さらには住民相互の連携、そして相互監視が暗に仄めかされている
警察や政府が煽る危機感それ自体は、メディアや口コミなど、様々な媒体を経由してもたらされる。一市民のレベルでは、必ずしも確認のしようのない危機の対象が市民社会に広がっていき、やがて危機意識となって市民の深層に沈殿していく。それが、ある種の政治的思惑から政治利用される。その結果としてこの国の社会が監視社会としての性格を色濃くしていくのである。
国家が監視社会のレールを敷き、その実行部隊として警察が先導者となって、地域社会に安全対策と称して様々な住民組織を立ち上げていく。それは学校や病院などの公的空間に留まらず、家庭など私的空間にまで及ぶ。安全対策や危機対応という、それ自体否定しがたいスローガンの前に、数多の地域住民が動員されていく。
・・・「国の力」によって、監視社会がつくり出されているのである。(p.p.12-13)

国民保護法の危険な内容について先に述べたが、強調しておきたいことは、それが“国民動員法”であると同時に“国民監視法”でもあることである。また、そこに通底する国民管理や国民監視を当然視する文言や論理なども繰り返し注目しておきたい。戦前期の軍機保護法が、軍機保護を理由に、国民の日常生活への監視を強め、さらには国民間の相互監視を暗に進めた。すなわち、密告や通報が奨励されたのである。
・・・自らがスパイ視されることを回避するために、隣人をスパイ視し、自らが公権力に忠実であることを実証しようとするまでに、結果的に国民相互監視に不信や猜疑心を醸成する結果となった。それがまた、諸個人の自由で主体的な発言や行動を自粛させ、自己規制に走らせたのである。
実は軍機保護法は、直接的な意味で軍事機密を保護すること以上に、実際には国民監視網を全国津々浦々に張り巡らせることで、言うならば手っ取り早く国民監視し、国家への従属を強めさせ、国民の生命と財産を危険にさらすであろう国家政策の実行を円滑にさせるための法律であった・・・。
それと同じように、国民保護法も、国家の安全と安定を保護し、保守するという文言を掲げながら、最終的には国家政策の確実な運営を目的としたものといえる。その意味で国民保護法とは、「戦後版軍機保護法」と言っても決して過言ではない。

・・戦前国家であれ戦後国家であれ、戦争を可能とする国家であれば、国民の管理・統制には積極的な姿勢をとるものであることを歴史が示している。そして、国民の管理・統制が現実に効果を発揮しているかを確認し、さらには管理・統制が必要とされる成果を獲得するためにも国民監視が日常生活の領域であっても及ぶのである。

国民監視は直接的な肉体の痛みを伴なわないものである。それに気づかないか、たとえ気づいても、国民の安全のためという権力の説明に納得してしまうのである。そのためにも、軍機保護法や国民保護法などの、いわゆる防諜法が違反事例を数多打ち出すことで国民への恫喝をかけ、監視の実態を赤裸々にすることで、自由と平和を求めるはずの国民の声を塞いでいった歴史を読み解かなければならない。(p.p.242-244)