Honma, R. (2016). Genpatsu puropaganda.
欧米では寡占を防ぐために、一業種一社制、つまり、一つの広告会社は同時に二つ以上の同業種他社の広告を扱えないという制度を取っている。たとえば、自動車業界でトヨタと契約したなら日産やホンダの仕事はできない、といった縛りがあるのだ。…日本にはそうした決まりがない。このため、どの業種でも上位二社が全てのスポンサーを得意先として抱えることができるうえ、CM制作から媒体購入までの一貫体制を敷ける二社が圧倒的に優位な仕組みとなっている。
さらに特殊なのは、欧米の広告会社の基本スタンスが「スポンサーのためにメディアの枠を買う」なのに対し、日本では「(メディアのために)メディアの枠をスポンサーに売る」という体質を持っている。つまりメディアは、電博に「広告を売ってもらう」という弱い立場にあるため、昔も今もこの二社には絶対に反抗できないのだ。
反原発報道を望まない東電や関電、電事連などの「意向」は両社によってメディア各社に伝えられ、隠然たる威力を発揮していった。東電や関電は表向きカネ払いの良いパトロン風の「超優良スポンサー」として振る舞うが、反原発報道などをしていったんご機嫌を損なうと、提供が決まっていた広告費を一方的に引き上げる(削減する)など強権を発動する「裏の顔」をもっていた。そうした「広告費を形にした」恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった。
そして、原発広告を掲載しなかったメディアも、批判的報道は意図的に避けていた。電事連がメディアの報道記事を常に監視しており、彼らの意図に反する記事を掲載すると専門家を動員して執拗に反駁し、記事の修正・訂正を求められたので、時間の経過と共にメディア側の自粛を招いたのだった。(p.p.iv-v)
電事連は…過去の広告費を一切公表していないが、その金額は二〇〇〇年以降毎年五〇〇億円以上だったと推測されており、だとすれば東電含め年間七〇〇億円以上という、途方もない巨額が原発プロパガンダに費やされていたことになる。
電事連は電力各社からの賛助金で活動しているのだから、つまりは電力会社が広告していたのに等しい。そういう団体が予算規模を開示せず、国民から吸い上げた電気料金を湯水のように使い、国内広告市場で「知られざる巨大スポンサー」として君臨、国民を洗脳していた。
…その「広告スポンサー」としての表の顔とは別に、電事連には裏の顔があった。それは、原発に関してネガティブな記事を書いたり、放映したメディアに対し、執拗に抗議し訂正を迫る「圧力集団」としての顔である。…当該記事の内容を誤りとし、中には専門用語を延々と羅列し、掲載メディアに対し、その訂正を迫ったものも多々あった。…ことあるごとに電事連から抗議が来るのなら、「面倒だからもう原発批判の記事を書くのはやめよう」という気持ちにさせる目的があったのだ。
しかも、読者の原発に対する不信感を取り除こうとするあまり、八八年七月五日掲載の回では「チェルノブイリのような事故は決して起こり得ない」などと断定している。ではもし起きたらどうなるのか、という当然の疑問には答えようがなかった。結局、二〇年後の二〇一一年の事故発生時でさえ、何もできなかったことは周知の通りである。(p.p.63-65)
その後事故の深刻さが明らかになると共に、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体は脱兎のごとく証拠隠滅に走った。原子力ムラ関連団体は、それまでHPに所狭しと掲載していた原発CMや新聞広告、ポスター類の画像を一斉に削除したのだ。
事故以前、東電のHP上には様々な原発推進広告が掲載されていたが、一斉に消去され、二〇〇六年から新聞や雑誌広告と連動させてHP上でも展開していた漫画によるエネルギー啓蒙企画「東田研に聞け エネルギーと向き合おう(弘兼憲史)」もいち早く三月末には削除した。
…さらに原発プロパガンダの総本山である電事連さえ、原発に批判的な記事をあげつらって反論していた「でんきの情報広場」の過去記事を全て削除した。NUMOも、過去の新聞広告やCMの記録をHPから全部削除した。そして資源エネルギー庁も、HPに掲載していた子ども向けアニメ「すすめ!原子力時代」などを削除した。また、二〇一〇年から大量の原発広告を出稿した東芝も、自社HPの広告ライブラリーから原発に関連する広告画像をすべて削除した。
そうした証拠隠滅に走ったのは、原子力ムラ関連団体だけではなかった。驚くべきことに、大手新聞社や雑誌の雑誌社の過去掲載広告事例集からも原発広告が削除された。事故の前年に一〇回も原発広告を掲載していた讀賣新聞でさえ、自社の広告掲載事例から東電の原発広告を消去した。
…これらの団体や企業が、それぞれが関与した証拠をことごとく消去したのは、そこに後ろめたさがあったからに他ならない。莫大な金を投入して作ってきた広告は、すべて嘘だったのだ。
あれほど絶対安全だといい張り、クリーンだなどと幻想を振りまいていたのに、事故が起きたらその証拠を消去しなければならないほど、自分たちの言説に責任も誇りも持っていなかった。カネに魂を売って安易に作り続けてきた作品群は、カネの切れ目が縁の切れ目とばかり、あっさり闇に葬られた。…まさしくそれが悪しきプロパガンダであったことを、鮮やかに証明したのだった。(p.p.137-140)
欧米では寡占を防ぐために、一業種一社制、つまり、一つの広告会社は同時に二つ以上の同業種他社の広告を扱えないという制度を取っている。たとえば、自動車業界でトヨタと契約したなら日産やホンダの仕事はできない、といった縛りがあるのだ。…日本にはそうした決まりがない。このため、どの業種でも上位二社が全てのスポンサーを得意先として抱えることができるうえ、CM制作から媒体購入までの一貫体制を敷ける二社が圧倒的に優位な仕組みとなっている。
さらに特殊なのは、欧米の広告会社の基本スタンスが「スポンサーのためにメディアの枠を買う」なのに対し、日本では「(メディアのために)メディアの枠をスポンサーに売る」という体質を持っている。つまりメディアは、電博に「広告を売ってもらう」という弱い立場にあるため、昔も今もこの二社には絶対に反抗できないのだ。
反原発報道を望まない東電や関電、電事連などの「意向」は両社によってメディア各社に伝えられ、隠然たる威力を発揮していった。東電や関電は表向きカネ払いの良いパトロン風の「超優良スポンサー」として振る舞うが、反原発報道などをしていったんご機嫌を損なうと、提供が決まっていた広告費を一方的に引き上げる(削減する)など強権を発動する「裏の顔」をもっていた。そうした「広告費を形にした」恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった。
そして、原発広告を掲載しなかったメディアも、批判的報道は意図的に避けていた。電事連がメディアの報道記事を常に監視しており、彼らの意図に反する記事を掲載すると専門家を動員して執拗に反駁し、記事の修正・訂正を求められたので、時間の経過と共にメディア側の自粛を招いたのだった。(p.p.iv-v)
電事連は…過去の広告費を一切公表していないが、その金額は二〇〇〇年以降毎年五〇〇億円以上だったと推測されており、だとすれば東電含め年間七〇〇億円以上という、途方もない巨額が原発プロパガンダに費やされていたことになる。
電事連は電力各社からの賛助金で活動しているのだから、つまりは電力会社が広告していたのに等しい。そういう団体が予算規模を開示せず、国民から吸い上げた電気料金を湯水のように使い、国内広告市場で「知られざる巨大スポンサー」として君臨、国民を洗脳していた。
…その「広告スポンサー」としての表の顔とは別に、電事連には裏の顔があった。それは、原発に関してネガティブな記事を書いたり、放映したメディアに対し、執拗に抗議し訂正を迫る「圧力集団」としての顔である。…当該記事の内容を誤りとし、中には専門用語を延々と羅列し、掲載メディアに対し、その訂正を迫ったものも多々あった。…ことあるごとに電事連から抗議が来るのなら、「面倒だからもう原発批判の記事を書くのはやめよう」という気持ちにさせる目的があったのだ。
ちなみにこれらの記録はすべて電事連のHPにアップされていたが、原発事故後の二〇一一年四月一一日に全削除された。それは、原発プロパガンダに荷担した証拠隠しの一端だったのだろう。(p.p.27-30)
チェルノブイリ原発事故直後はさすがに全国紙での広告掲載は影を潜めたが、地方では続いていた。ようやく八八年になって、全国紙での原発広告復活の狼煙となったのは、六月から朝日や讀賣新聞に掲載された「原子力発電、あなたのご質問にお答えします」という全15段の4回シリーズだった(「私たちはこう考えて原子力発電を進めています。」の15段広告を含めれば5回)。
このシリーズは博報堂の制作で、読者から寄せられた質問に電事連が答えるという形式をとった。まだインターネットも携帯電話もない時代に、広告主と読者の双方向性を新聞紙上で実現しようとした、当時としては新しいやり方ではあったが、難解な原発問題に関して読者からの反響は集まらず、紙上に掲載された質問のほとんどは、博報堂社員の家族が書いたはがきによるヤラセであった。しかも、読者の原発に対する不信感を取り除こうとするあまり、八八年七月五日掲載の回では「チェルノブイリのような事故は決して起こり得ない」などと断定している。ではもし起きたらどうなるのか、という当然の疑問には答えようがなかった。結局、二〇年後の二〇一一年の事故発生時でさえ、何もできなかったことは周知の通りである。(p.p.63-65)
その後事故の深刻さが明らかになると共に、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体は脱兎のごとく証拠隠滅に走った。原子力ムラ関連団体は、それまでHPに所狭しと掲載していた原発CMや新聞広告、ポスター類の画像を一斉に削除したのだ。
事故以前、東電のHP上には様々な原発推進広告が掲載されていたが、一斉に消去され、二〇〇六年から新聞や雑誌広告と連動させてHP上でも展開していた漫画によるエネルギー啓蒙企画「東田研に聞け エネルギーと向き合おう(弘兼憲史)」もいち早く三月末には削除した。
…さらに原発プロパガンダの総本山である電事連さえ、原発に批判的な記事をあげつらって反論していた「でんきの情報広場」の過去記事を全て削除した。NUMOも、過去の新聞広告やCMの記録をHPから全部削除した。そして資源エネルギー庁も、HPに掲載していた子ども向けアニメ「すすめ!原子力時代」などを削除した。また、二〇一〇年から大量の原発広告を出稿した東芝も、自社HPの広告ライブラリーから原発に関連する広告画像をすべて削除した。
そうした証拠隠滅に走ったのは、原子力ムラ関連団体だけではなかった。驚くべきことに、大手新聞社や雑誌の雑誌社の過去掲載広告事例集からも原発広告が削除された。事故の前年に一〇回も原発広告を掲載していた讀賣新聞でさえ、自社の広告掲載事例から東電の原発広告を消去した。
…これらの団体や企業が、それぞれが関与した証拠をことごとく消去したのは、そこに後ろめたさがあったからに他ならない。莫大な金を投入して作ってきた広告は、すべて嘘だったのだ。
あれほど絶対安全だといい張り、クリーンだなどと幻想を振りまいていたのに、事故が起きたらその証拠を消去しなければならないほど、自分たちの言説に責任も誇りも持っていなかった。カネに魂を売って安易に作り続けてきた作品群は、カネの切れ目が縁の切れ目とばかり、あっさり闇に葬られた。…まさしくそれが悪しきプロパガンダであったことを、鮮やかに証明したのだった。(p.p.137-140)
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