Saturday, March 2, 2019

吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』

Yoshida, M. (2002). Nihon no koto wa naze kūshū o manugaretaka.

[History of Mass Mindcontrol with Stockholm Syndrome]


 古都に空襲がなかったのは、その文化財を保護するためにアメリカ軍が爆撃を控えていたからであり、そのことを進言した“古都の恩人”はウォーナー博士であるという、≪ウォ―ナー伝説≫は全く事実無根であった。(p.209)


 米軍による爆撃によって焼失した日本の文化財は、国宝二九三件、史蹟名勝天然記念物四四件、重要美術品一四三件であり、合計四七一件もが灰になったという。(p.66) …都市地域を攻撃する際の米軍がとった戦法は、おもに精密爆撃とジェノサイド(genocide 大量虐殺の意)爆撃という二つに区分することができる。
…第二・第三期の都市爆撃で主要な戦法としてとられたこの焼夷弾爆撃は、住宅密集地域への無差別爆撃であり、民間人の皆殺しをも企図したものであった。まさにジェノサイド爆撃と呼ぶにふさわしい、すさまじい空爆となったのである。(p.p.103-104))



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 "原爆の攻撃目標[*京都・広島・新潟など]はワシントンからの秘密指令によって他のいかなる形式の攻撃からも一切除外されていて、原爆の使用に対する効果だけを得られるほとんど無傷の地域であった"〔USSBS, Final Report No.66 : The Strategic Air Operation of Very Heavy Bombardment in the War against Japan, 1946〕(p.97)


 京都の場合、[現・鉄道博物館付近の]梅小路機関車庫がその照準点とされていたのである。[*目標が視認しやすく、また原爆の爆風を京都市の住宅密集地域の隅々に行き渡らせ、できるだけ多数の京都市民を殺害するため]…もしここに原爆が投下された場合、六〇万人もの死傷者の出ることが推計されている。(p.94)


 [*昭和二〇年八月二四日に予定された]三発目の原爆は投下される寸前まできていた。…[*パンプキン爆弾と呼ばれる原爆と同重量の通常炸薬爆弾で]京都への投下練習が着々と積み重ねられていた。このような状態で戦争が終結した結果、京都は爆撃禁止の状態におかれつづけたため、結果として、本格的な空襲がないという結果を生み出したのが真相だったのである。(p.205)


〈マンハッタン計画〉の総指揮官グローブズはその回顧録で次のように書いている。
“…もし、われわれが京都を原爆目標として勧告していなかったならば…[*原爆の代わりに通常爆撃によって]戦争が終わるまでには、全滅しないまでもかならずや、さんざんな損害を受けていただろうということはいえるだろう。”


…大都市の爆撃では二〇〇~三〇〇機のB29が一時間以上もかけて爆撃をする。その場合、あとから来たB29にとって、目標とされた地域がすでに先行機の爆撃で火の海となっていることはよくあることである。その際、火の海に爆弾を棄ててもしかたがないので、そのB29は、帰路において適当と思われる目標物を見出して投弾するか、また、文字どおり爆弾を棄てたりするのである。


 京都に関して…〈爆撃禁止命令〉‥の期間にあった六月二六日の西陣出水に対する爆撃は、B29一機が一トン爆弾七発を投下したものだが、これは当日の名古屋地方への爆撃の[*余った爆弾を棄てるための]付随的爆撃であると考えられる。(p.p.110-112)
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 モニカ・ブラウが著した『検閲』という書物は…次のように記している。
 “日本人のあいだでの情報のやりとりを統制、監視する付加的な手段として、アメリカの宣伝をはかる特別の一局が設けられた。これは「民間情報教育局」(CIE)とよばれた。この機関は、「日本人の思考を改造…する」ために、日本の新聞、ラジオ、学校、教会、およびあらゆる種類の組織を活用することをめざしていた”
 また、CIEは教育映画を無料で配給して、学校・公民館・PTA・青年会・労働組合・農業協同組合などで上映させた。そのために、一六ミリ映写機も無料で貸し出された。


 CIEの前身は、太平洋戦争において「ラッカサン・ニュース」などで活躍した米軍の〈心理作戦課〉であった。…つまり対日心理作戦の専門部隊であった。そして、CIEの局長であるダイク准将も、《ウォーナー伝説》の創作者ヘンダーソン中佐も、共に対日心理作戦に従事した専門家だったのである。

 つまり、CCD[*民間検閲支援隊]が検閲を通して、原爆報道などアメリカの悪いイメージの流布を阻止することを任務としていたのに対して、CIEの任務は宣伝によって、日本軍国主義の批判やアメリカのよいイメージの普及をはかることにあったのである。(p.p.227-229)
原爆投下の真実 「第一目標 京都、19発投下」 予定であった。

4 comments:

n said...

2019.3.3 上掲書『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』の引用中、以下の「アメリカ軍による日本民族大量虐殺」の事実を記載した部分のみフォントを小さくされ何度修正してもまた改ざんされたり、同ブログページ自体をフリーズさせ編集できなくさせたりする被害が続発した。

「…都市地域を攻撃する際の米軍がとった戦法は、おもに精密爆撃とジェノサイド(genocide 大量虐殺の意)爆撃という二つに区分することができる。
…第二・第三期の都市爆撃で主要な戦法としてとられたこの焼夷弾爆撃は、住宅密集地域への無差別爆撃であり、民間人の皆殺しをも企図したものであった。まさにジェノサイド爆撃と呼ぶにふさわしい、すさまじい空爆となったのである。(p.p.103-104)」

同様の被害は以前、同じく当ブログで取り上げた『良心をもたない人たち』で人口に占めるサイコパス(反社会性人格障碍者)の割合は白人のほうがアジア人より10倍もいる事実を述べた箇所でもフォントを乱すなど執拗な編集妨害が行われている。

これらの事実からアメリカ人が同国民の卑劣さを暴露する言論を世界中で常時監視し妨害工作を行っていることが窺える。
まさにアメリカ人が「検閲を通して、原爆報道などアメリカの悪いイメージの流布を阻止することを任務として」(『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』)匿名で、かつ加害事実を隠蔽しながら非常に卑怯な方法を用いて言論弾圧を行うことが現在も続けられているのを証左する一件といえる。

n said...

 ・・・加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ・・・
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ・・・

昭和天皇 玉音放送 昭和二十年八月十五日

n said...

 昭和二十年一月一六日深夜、三重県方面から来襲したB29爆撃機が京都市上空を旋回したのち、東山区馬町に爆弾を落とした。…死者四十一人、負傷者四十八人、被害家屋は三百十六戸。
 その後は三月十九日(右京区)、四月十六日(右京区)、同二十二日(北区)、五月十一日(上京区、右京区)と続いた。五月には被害はなかったものの、御所春興殿の庭先と久邇宮邸の屋上に落ちたのだそうだ。
 そして六月二十六日早朝。上京区の西陣出水・正親地区に馬町と並ぶ規模の空襲があった。…死者五十人、負傷者六十六人、被害家屋二百九十二棟。

…これまでもあまり知られていなかった京都の空襲だが、柱や壁に弾痕や傷跡を残す古い民家が、無言のうちにもその事実を物語っていた。

…空襲を受けた地域の一角にある「山中油店」(上京区下立売通智光院西入ル)。ここは時代劇に出てきそうな「あぶらや」の風情をよくとどめる洛中の老舗だが、昔ながらのショーウィンドウに油しぼりの道具とともに展示されているのは、ほかでもない、西陣空襲の爆弾の破片であった。
 このことを知る人は、京都でも少ないのではなかろうか。(p.p.216-217)

黒田正子『京都の不思議』 

n said...

[占領軍最高司令部民間情報教育部(C.I.E.)が日本人からの武道継続の懇願を無視して廃止を命令し]昭和二十年十一月六日付の文部次官通達(発体八十号)によって、学校における武道は全面禁止になった。…十二月にまた通牒が出て、「学校又は付属施設に於て武道を実施せしめざること」として、たとえ非公式でも、また学生・一般人を問わず一切禁止された。…昭和二十二年三月、極東委員会から「日本教育制度改革に関する指令」が出され、その中の「剣道のような精神教育を助長する昔からの運動もすべて廃止せねばならぬ」とあり、剣道関係者にとって、復活を断念せざるを得ない内容であった。

…C.I.E.の勧告によって、昭和二十一年八月文部省体育局から出された通牒「社会体育の実施に関する件」(発体九十五号)‥には、特に剣道に限定して、公私の組織的活動の禁止、武道という語の使用禁止がうたわれている。その後、学校施設の禁止が出るので、事実上の禁止措置ともいえる厳しいものである。(p.p.122-124)

学校剣道は昭和二十八年七月七日付、文部次官通知(文初中第三八五号)により「高等学校以上の実施可能な学校においてはこれは行ってもよい」ことになり、…その基本理念は「剣道は武道としてではなく、体育スポーツとして、他の体育スポーツと同等の立場において学生生徒の心身の発達に寄与し、豊かな人間性を作り上げることを目標とする」となっている。(p.128)

中林信二『武道のすすめ』