Sunday, April 13, 2014

荻野富士夫 『特高警察』

Ogino, Fujio. Tokkō Keisatsu. Tōkyō: Iwanami Shoten, 2012. Print.


Ⅷ.特高警察の「解体」から「継承」へ
(特高が存在する法的根拠であった)治安警察法の廃止をめぐって・・内務省では(GHQにより既に廃止を指示されていた)治安維持法などの廃止に(治安警察法を)含めず、存続を決め込んだ。・・しかし・・このことを知ったGHQから廃止を指示されると、すぐ従うというみっともなさを露呈した。
そのうえ(特高職員の)罷免はいかにも不徹底なものだった。・・特高経験長期にわたる者も不問にされた。(p.215)
(一九)四六年五月一七日の『読売新聞』コラムには、「特高警察に属していたものが、名称だけは変わったが本質的には特高と変わらぬ仕事をやっている機構の中に潜り込んでいるというのが日本の警察の実情である」とある。(p.221)

新特高「公安警察」
一九四六年になるとGHQ参謀第二部(G)と管下の対敵諜報部隊(CIC)を後ろ盾に、「公安警察」の整備と強化が急速に進んだ。・・六月一二日には(ポツダム)勅令第三一一号「連合国占領軍の占領目的に有害な行為にたいする処罰等に関する勅令」が制定され、以後、絶大な威力を発揮していく。(p.p.224-225)
警察・公安委員会についてのアンケート調査の返信用封筒の切手に印がつけられ、「匿名投書とは、ていのいい警察用語であって、(印の)何番はダレ(が出した)というように、はっきりわかるカラクリがかくされてあった」として「この不愉快な、否、悪らつな手口は、特高精神の発露だ」と断じている(『朝日新聞』一九四八年一一月二五日)(p.226)

こうした状況の下、1950年前後には、罷免・「公職追放」されていた旧特高警察官の多くが「公安警察」部門などに復帰し、かつての経験・ノウハウを活かしていく。・・加えて、戦前の「思想検察」を継承する「公安検察」の設置(五一年一二月)、治安維持法の再来といえる破壊活動防止法の成立(五二年七月)・・などを指標にとると、一九五〇年代半ばまでに戦後治安体制は確立したといえる。(p.230)

1 comment:

n said...

武装解除と刀剣(昭和の刀狩り)

敗戦国日本を占領した連合軍がまず実施したのが武装解除である。陸・海・空軍の解体だけにとどまらず、民間所有武器の回収から、民間航空機の保有禁止に至るまでの徹底したものであった。このような徹底した武装解除によって、日本は軍事的に丸裸にされただけでなく、精神的にも丸裸に近い状態に置かれた。このような状態が続くことによって、抵抗の意欲を奪われていき、やがてこれが無抵抗につながってきている。

…秀吉の刀狩りが農民から武器を取り上げて、支配者と被支配者という身分の違いを自覚させるようにしたのと同じである。
 連合軍の武装解除は、武器を持つ連合軍という支配者と、すべての武器を奪われて、抵抗能力をすべて失ってしまった被占領国民という図式になり、身分の違いをはっきりと自覚させる最も有効な措置であったと考えられる。

…従来の取り締まりが明治四十三年(一九一〇)制定の「銃砲火薬取締法」や「治安警察法」などに基づいて、原則的に所持の自由を認めながら、部分的な規制を加えるという方針で目的を達成してきたのを根本的に変更するものであった。

…[占領終了後の法改正でも]原則として所持禁止であることは変わりがなく、占領軍の意向によって方針転換させられた取り締まりの方向は、そのまま踏襲されて現在も続いている。運用面では、戦時中の「治安維持法」の運用を思わせるような、各種取り締まりに際しての名目上の便法として使われることが多くなっており、現実に銃刀法違反を名目にした取り締まり件数が以上に高い数字を示している。これらのことも、刀剣に対する嫌悪感を生み出す遠因の一つになっているのであろう。(p.p.171-174)

得能一男 『刀剣鑑賞の基礎知識』