Okada, T. (2008). Nōnai osen. Tōkyō: Bungei Shunjū.
ゲーム制作者のハウランドは、職業的な見地から、ゲームには五つの中毒性の要素があるとしている。①ゲームを終了させる中毒、②競争の中毒、③熟練の中毒、④探索の中毒、⑤高得点の中毒である。…ゲームは最高の叡智を傾けて、中毒を起こしやすく設計された、一種の「合成麻薬」だということである。
『タイム』誌によると、ビデオゲームにこうした麻薬的な依存性があることは、ゲーム開発者の間では公然の秘密だという。タイム誌が接触したあるゲーム開発者は、匿名を条件に次ぎのように語っている。
「ビデオゲームは、すべてアドレナリンを出せるかどうかにかかっている。アドレナリンを出させる一番手っ取り早い方法は、やられると思わせることだ」
医学的にいって、交感神経からアドレナリンがもっとも盛んに血液中に放出されるのは、ファイト・アンド・フライト、つまり、やるかやられるかという危険の中で、必死に戦うか、逃げている瞬間である。そして、敵を倒し、危険を逃れたとき、達成感とともに、脳の中ではドーパミンが放出されることになる。
覚醒剤打ったときも、ギャンブル中毒の男がギャンブルをしているときも、アドレナリンとともに、ドーパミン・レベルの上昇が起きている。アドレナリンは、心臓をどきどきさせ、ドーパミンは気分を高揚させる。
ゲーム開発者は、今にもやられそうな状況を、できるだけリアルに体験させるシチュエーションを作ることで、体にはアドレナリンを、脳内にはドーパミンを溢れさせる。そのために、日夜知恵を絞っているのだ。(p.p.100-101)
テレビをはじめとする映像メディアに、人々がどれほど依存しているかは、それに依存することをやめようと思う人がほとんどいないため、まったく意識されないほどである。
だが、映像メディアのない環境に置かれると、依存を形成している人は、しだいに落ち着かなくなり、映像メディアの探索行動を開始する。せっかく旅行に行ったのに、ホテルに着くなり、テレビを見始める人では、そうした依存が疑われる。いつも見ている番組の視聴を遮られると、ひどく不機嫌になり、攻撃的な反応を示す。普段は穏やかな人が、そうしたときだけ血相を変えることもある。ある研究では、一週間テレビの視聴をやめさせる実験を行ったところ、イライラが増え、口論や殴り合いのケンカが起きてしまったという。テレビ依存も、ゲーム依存同様、物質依存と変わらない性質を持っているのである。(p.124)
ゲーム制作者のハウランドは、職業的な見地から、ゲームには五つの中毒性の要素があるとしている。①ゲームを終了させる中毒、②競争の中毒、③熟練の中毒、④探索の中毒、⑤高得点の中毒である。…ゲームは最高の叡智を傾けて、中毒を起こしやすく設計された、一種の「合成麻薬」だということである。
『タイム』誌によると、ビデオゲームにこうした麻薬的な依存性があることは、ゲーム開発者の間では公然の秘密だという。タイム誌が接触したあるゲーム開発者は、匿名を条件に次ぎのように語っている。
「ビデオゲームは、すべてアドレナリンを出せるかどうかにかかっている。アドレナリンを出させる一番手っ取り早い方法は、やられると思わせることだ」
医学的にいって、交感神経からアドレナリンがもっとも盛んに血液中に放出されるのは、ファイト・アンド・フライト、つまり、やるかやられるかという危険の中で、必死に戦うか、逃げている瞬間である。そして、敵を倒し、危険を逃れたとき、達成感とともに、脳の中ではドーパミンが放出されることになる。
覚醒剤打ったときも、ギャンブル中毒の男がギャンブルをしているときも、アドレナリンとともに、ドーパミン・レベルの上昇が起きている。アドレナリンは、心臓をどきどきさせ、ドーパミンは気分を高揚させる。
ゲーム開発者は、今にもやられそうな状況を、できるだけリアルに体験させるシチュエーションを作ることで、体にはアドレナリンを、脳内にはドーパミンを溢れさせる。そのために、日夜知恵を絞っているのだ。(p.p.100-101)
テレビをはじめとする映像メディアに、人々がどれほど依存しているかは、それに依存することをやめようと思う人がほとんどいないため、まったく意識されないほどである。
だが、映像メディアのない環境に置かれると、依存を形成している人は、しだいに落ち着かなくなり、映像メディアの探索行動を開始する。せっかく旅行に行ったのに、ホテルに着くなり、テレビを見始める人では、そうした依存が疑われる。いつも見ている番組の視聴を遮られると、ひどく不機嫌になり、攻撃的な反応を示す。普段は穏やかな人が、そうしたときだけ血相を変えることもある。ある研究では、一週間テレビの視聴をやめさせる実験を行ったところ、イライラが増え、口論や殴り合いのケンカが起きてしまったという。テレビ依存も、ゲーム依存同様、物質依存と変わらない性質を持っているのである。(p.124)