Monday, January 20, 2020

有馬哲夫『原発と原爆』

Arima, T. (2012). Genpatsu to genbaku: Nichibeiei kaku buso no kurayami. Bungeishunju


二〇一一年三月一一日三陸沖を震源とするマグニチュード九・〇の地震が起き、巨大津波が福島第一原子力発電所の四基の原子炉とその周辺施設を襲った。…冷却水の循環が止まり、過熱した炉心は溶融を起こした。次いで、原子炉建屋内に水素ガスが充満し、ついには爆発した。旧ソ連のチェルノブイリ事故以来最悪の放射能漏れ事故が起こった。
…放射能被害のために放棄するしかない土地や財産など、また、農作物やその他の生産品に与えた直接の被害や風評被害を補償するため、六兆円が必要になると見積もられている。(p.p.9-10)


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アメリカ労働総同盟の日本支部代表のリチャード・デヴェラールが五三年一〇月二九日に国務長官と会ったときの発言だ。   

原爆障害調査委員会(atomic Bomb Causality Commission, 略してABCC)の広島での活動が私たちの良心の痛みになっています。…

…原爆被害者救済のための研究組織であるかのようにミスリードして日本側から協力を引き出してきた。だが、実際は被害者救済など目的としておらず、原爆や放射能が人体にどのような被害を与えるのかについてのデータを集め、分析することしかしてなかった。しかも、日米合同とは名ばかりで、実態はアメリカの軍とアメリカ原子力委員会の合同組織だった。
デヴェラールたち心あるアメリカ人は、アメリカが広島と長崎に原爆を投下しただけでなく、さらにその被爆者をモルモット代わりに扱っておきながら、日本側には医療行為を施すかのような誤解を与え協力させていたことに大きな良心の呵責を感じていた。(p.38)

Saturday, January 4, 2020

池田昌昭『完全犯罪JAL123便墜落事件』

Ikeda, M. (2003). Kanzen hanzai: Jaru hyakunijūsanbin gekitsui jiken. Tōkyō: Bungeisha. 

目撃証言

午後六時四十五分 長野県南佐久郡南相木村上粟生の主婦が、胴体から煙を噴きながら超低空で、東北の方角へ飛んで行くのを目撃している。(「ドキュメント日航機墜落」『北陸中日新聞』一九八五年八月十三日付朝刊))

…埼玉県浦和市住民の目撃証言もある。「マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと、両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方へ消えた」。(「各地で多数の目撃者」『朝日新聞』一九八五年八月十三日付朝刊)

…長野県南佐久郡川上村住民の証言。
「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村と群馬県境に消えた」。(「各地で多数の目撃者」『朝日新聞』一九八五年八月十三日付朝刊)

(p.p.65-67)

生存者は、救出された四人以外にもいた

八月十三日付『朝日新聞』夕刊最終版4版「大刷り」一面トップ見出しは「生存者八人」だった。(朝日新聞社会部編『日航ジャンボ機墜落』朝日新聞社 二〇一~二〇二ページ)

…この男の子[※公表された4名以外の一人]の年齢が七、八歳とすれば、八月十三日昼間に、現場実況生中継を行ったフジテレビクルーによって、この七、八歳の男の子が担架に乗せられて運ばれるのが目撃され、フジテレビでその模様が実況放送されている。

(p.p.158-159)