Aoyama, T. (2018). Nikkō hyakunijūsanbin tsuiraku ibutsu wa shinsō o kataru. Tōkyō: Kawadeshobōshinsha.
‥相模湾の海底に沈んでいる航空機残骸の回収について、当初、群馬県警側は捜索することに大変意欲的であったが、事実上、事故調査委員会に仕切られていたためにできなかった。
それについて群馬県警の警察官は「‥運輸省っていえば、我々より、上級の官庁だから、群馬県警がしゃしゃりでたら都合の悪いことになっちゃうんだな」(吉岡忍『墜落の夏』)と話していたと書いてある。私がインタビューをした検死現場の医師たちも同じようなことを語っていたが、遺体安置所を視察にきた運輸省など中央官庁の官僚たちに対して最敬礼で迎える河村一男群馬県警本部長の言動からも警察主導の難しさを感じていたとのことである。
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[遺体が収容された]体育館内では、群馬県警の警察官で実際に現場にいち早く入った人から聞いた話で、すでに山から下りてきた人がいて、その人のものらしい弁当の空き箱が落ちているのまで見たそうである。実は、その話も機長の服が見つからない話も関係者の間では噂となっていた。まるで焼夷弾のように[遺体が]焼かれている、と語った年配の医師もいた。(p.98)
群馬県警察医の大國勉氏(八十五歳)は‥「火災現場での真っ黒に焦げた焼死体」‥に関しても数多く見てきたが、あの日航123便では、それらとまったく異なると語った。
「真っ黒の塊を見ていたら、頭蓋骨の目の部分、眼窩が三つあって、これは二人だっていうことになった。写真撮影しながら絡み合った遺体をゆっくり外していったけど、ポロポロの状態でね。この遺体が新婚旅行帰りの新婚さんだって後からわかって。多分二人は怖いから、大丈夫、大丈夫って抱き合っていたのかねえ。表も裏もすべて真っ黒だった」
通常、土の上などの地面に接した肉体部分は熱の温度に差が出て、生焼けの状態となるが、この遺体は驚いたことに裏側も表側も真っ黒状態だったという。‥戦争経験者であればすぐ思いつくのが、焼夷弾が落ちた後の道端の遺体である。ナパーム弾といった油脂焼夷弾も同様だ。衣服などに油脂が付着して高温状態がその場に留まり続けて、しかもその状態を維持したまま何時間も炭化するまで燃え続ける武器である。(p.p.61-62)
「ああ、この人も生きていたなあと思う人もいて、早く救えたらなあと思いました。新婚さんなんか顔を寄せ合っていたのかと思うほど、真っ黒なんですけど、あごが二つめり込んで、そこから手を入れて歯型を引っ張り出して身元確認をやって。頬寄せ合っていて、きっと怖いのを我慢していたんだろうねえって私たちは思っていたんです。‥」[土肥福子歯科医師](p.99) *********
その「塊」だが、墜落後に上野村住民が尾根の整備を行った際にコツコツと拾い集めたものだった。‥まるでマグマが固まって冷めた岩のように見える。‥かなりの量のベンゼンが含まれていることから見ても、大量のガソリンが使われていたことになる。‥次に硫黄だが‥その数値の大きさからすると偶然に混入した、ということではないと考えられる。(p.126-142)
あの日、上野村の墜落現場の山奥で、ジェット燃料ではなく、ベンゼンが含まれる大量のガソリンが用いられ、航空機の構造物であるジュラルミンが融解してドロドロになって固まり、その中に硫黄成分を含むゴムのような粘着性の高い物質が含まれていた、という事実は、[火炎放射器等の]武器使用の可能性を最大に高めた結果となったのはまちがいないと考える。(p.145)
日航123便墜落から一か月後に自殺と報道された羽田整備工場メンテナンス・コントロール室調査役の日航職員(当時)‥は首や胸など数か所を果物ナイフで刺して亡くなった、とあったため、これで自殺なのかというのが社内での大きな疑問であったと聞く。ある警察関係者は「自分で数か所も刺す前に通常は一回目で気絶するし、ましてや普通の人の自殺で首は切らない」と思ったそうである。(p.160)
二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックに向けて国際線の枠を増やす目的で東京都心上空を通過する羽田空港新ルートが導入されることが決定している。‥新ルートでは、最も事故が多発する「魔の十一分(クリティカル・イレブン・ミニッツ)」の離陸後三分、着陸前八分に[米軍]横田空域に入る。
着陸間際のパイロットに最も集中力が必要なこの時間帯に羽田の管制から[米軍]横田管制へ、そしてまた羽田へと切り替わる。もし、管制官として公務中の米軍人がミスを犯し、事故を起こした場合、日米地位協定では第一次裁判権が米軍側にあるため、日本が調査したくても、運輸安全委員会は米軍の許可が必要なのだ。‥昨年も米軍の絡む事故が多発し、‥米軍は責任を取らず、さらに「空域返還」の交渉すら棚上げしている。(p.p.178-179)
‥相模湾の海底に沈んでいる航空機残骸の回収について、当初、群馬県警側は捜索することに大変意欲的であったが、事実上、事故調査委員会に仕切られていたためにできなかった。
それについて群馬県警の警察官は「‥運輸省っていえば、我々より、上級の官庁だから、群馬県警がしゃしゃりでたら都合の悪いことになっちゃうんだな」(吉岡忍『墜落の夏』)と話していたと書いてある。私がインタビューをした検死現場の医師たちも同じようなことを語っていたが、遺体安置所を視察にきた運輸省など中央官庁の官僚たちに対して最敬礼で迎える河村一男群馬県警本部長の言動からも警察主導の難しさを感じていたとのことである。
その後河村氏は、運輸省に[遺体の杜撰な取り扱いを改善してほしいと]直談判しに行った遺族の吉備素子さんへの尾行や嫌がらせといった仕事に転職したようだが、一体どちらを向いて仕事をしてきたのだろうかと疑わざるをえない。むしろ遺族に対して十分な捜査ができなかったと詫びるべきだろう。これらの行為は吉備さんから訴えられても仕方がない言動である。そして河村氏が語った言葉が「事故原因を追究すればアメリカと戦争になる」では、日航もボーイングも罪を認めているのだから、脅しとしても全くつじつまが合わない。(p.p.36-37)
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[習志野空挺団は]落下傘部隊の名を持つ精鋭部隊である。前著『墜落の新事実』での聞き取りでは、日航機墜落時、[123便がまだダッチロール中の十八時四十分、救助ヘリの]エンジンをかけたままでの待機命令が出て、今直ぐにでも現場に行ける態勢をととのえていたが、その後、待機解除命令が出たことで、墜落後すぐに現場に駆け付けられなかった、とのことであった。日頃の訓練において夜間降下も含めて高い能力を持つ部隊がなぜすぐに救助に行かなかったのか、という多くの批判が寄せられた。山下徳夫運輸大臣(当時)も、そう言われて国会でいろいろと釈明せざるを得なかった、と語っている。(p.p.72-73)
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[遺体が収容された]体育館内では、群馬県警の警察官で実際に現場にいち早く入った人から聞いた話で、すでに山から下りてきた人がいて、その人のものらしい弁当の空き箱が落ちているのまで見たそうである。実は、その話も機長の服が見つからない話も関係者の間では噂となっていた。まるで焼夷弾のように[遺体が]焼かれている、と語った年配の医師もいた。(p.98)
群馬県警察医の大國勉氏(八十五歳)は‥「火災現場での真っ黒に焦げた焼死体」‥に関しても数多く見てきたが、あの日航123便では、それらとまったく異なると語った。
「真っ黒の塊を見ていたら、頭蓋骨の目の部分、眼窩が三つあって、これは二人だっていうことになった。写真撮影しながら絡み合った遺体をゆっくり外していったけど、ポロポロの状態でね。この遺体が新婚旅行帰りの新婚さんだって後からわかって。多分二人は怖いから、大丈夫、大丈夫って抱き合っていたのかねえ。表も裏もすべて真っ黒だった」
通常、土の上などの地面に接した肉体部分は熱の温度に差が出て、生焼けの状態となるが、この遺体は驚いたことに裏側も表側も真っ黒状態だったという。‥戦争経験者であればすぐ思いつくのが、焼夷弾が落ちた後の道端の遺体である。ナパーム弾といった油脂焼夷弾も同様だ。衣服などに油脂が付着して高温状態がその場に留まり続けて、しかもその状態を維持したまま何時間も炭化するまで燃え続ける武器である。(p.p.61-62)
「ああ、この人も生きていたなあと思う人もいて、早く救えたらなあと思いました。新婚さんなんか顔を寄せ合っていたのかと思うほど、真っ黒なんですけど、あごが二つめり込んで、そこから手を入れて歯型を引っ張り出して身元確認をやって。頬寄せ合っていて、きっと怖いのを我慢していたんだろうねえって私たちは思っていたんです。‥」[土肥福子歯科医師](p.99) *********
その「塊」だが、墜落後に上野村住民が尾根の整備を行った際にコツコツと拾い集めたものだった。‥まるでマグマが固まって冷めた岩のように見える。‥かなりの量のベンゼンが含まれていることから見ても、大量のガソリンが使われていたことになる。‥次に硫黄だが‥その数値の大きさからすると偶然に混入した、ということではないと考えられる。(p.126-142)
あの日、上野村の墜落現場の山奥で、ジェット燃料ではなく、ベンゼンが含まれる大量のガソリンが用いられ、航空機の構造物であるジュラルミンが融解してドロドロになって固まり、その中に硫黄成分を含むゴムのような粘着性の高い物質が含まれていた、という事実は、[火炎放射器等の]武器使用の可能性を最大に高めた結果となったのはまちがいないと考える。(p.145)
日航123便墜落から一か月後に自殺と報道された羽田整備工場メンテナンス・コントロール室調査役の日航職員(当時)‥は首や胸など数か所を果物ナイフで刺して亡くなった、とあったため、これで自殺なのかというのが社内での大きな疑問であったと聞く。ある警察関係者は「自分で数か所も刺す前に通常は一回目で気絶するし、ましてや普通の人の自殺で首は切らない」と思ったそうである。(p.160)
二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックに向けて国際線の枠を増やす目的で東京都心上空を通過する羽田空港新ルートが導入されることが決定している。‥新ルートでは、最も事故が多発する「魔の十一分(クリティカル・イレブン・ミニッツ)」の離陸後三分、着陸前八分に[米軍]横田空域に入る。
着陸間際のパイロットに最も集中力が必要なこの時間帯に羽田の管制から[米軍]横田管制へ、そしてまた羽田へと切り替わる。もし、管制官として公務中の米軍人がミスを犯し、事故を起こした場合、日米地位協定では第一次裁判権が米軍側にあるため、日本が調査したくても、運輸安全委員会は米軍の許可が必要なのだ。‥昨年も米軍の絡む事故が多発し、‥米軍は責任を取らず、さらに「空域返還」の交渉すら棚上げしている。(p.p.178-179)