Saturday, June 1, 2019

小田周二『524人の命乞い : 日航123便乗客乗員怪死の謎』

Oda, S. (2017). Gohyakunijūyonin no inochigoi: Nikkō hyakunijūsanbin jōkyaku jōin kaishi no nazo. Tōkyō: Bungeisha.


‥一人の乗客がカメラを123便の窓の外に向けて夢中で撮った空飛ぶ点影の写真。‥遺族は早速、その写真をマスコミに公開したいと考えた。ところが、群馬県警がそれを制止した。‥惨劇の犠牲者が最後に見たものを写したフィルムを遺族から取り上げて保管し続けた。このフィルムが遺族の手に戻されたのは、それからじつに5年後の歳月を経て‥事故についてもはや誰一人として刑事責任を問われないことが確定した後、さらに付け加えればもはや過失致死事件としての「時効」が成立した一週間後のことだ。(p.48)

◆告白―最後のパズルピース
123便が墜落したその日、ある航空自衛隊の基地司令官(当時)から一人の男性に電話が入った。この司令官は、電話の向こうで男性にこう言った。
「えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ」
この司令官と男性とは、第二次世界大戦中に同じ部隊に所属した戦友だった。共に同じ戦争の時代を過ごした軍人同士の絆は強く、長い年月を経ても相互の信頼は厚いと言われる。その信頼ゆえの気安さだろうか。電話口の向こうで語る基地司令官の声は、まるで「やっちまったよ!」とでもいうようなあけっぴろげな調子に聞こえたという。(p.p.51-52)

◆前橋地方検察庁の不起訴判断
90年7月17日、前橋地方検察庁は告訴・告発されていた関係者について、いずれも不起訴を再決定した。…山口検事正が遺族の前で語ったのは、事故調が描いた事件のシナリオに対するあからさまな批判と否定だった。
<最終報告書を読んだが、修理ミスが事故の原因どうかわからない。> <事故調の報告書は、「曖昧」だと思う。> <機内が静粛であったのだから、隔壁は破壊していない可能性がある。> <ボーイング社は(同型機全体の問題ではなく)事故機だけの原因にしたくて修理ミスを認めたのかもしれない。> <それ(報告書)を見ても、真の事故原因は解らない。> (p.p.20-21)

◆消えたボイスレコーダーの記録
公式に事故調から発表されているCVR(コックピットボイスレコーダー)の中には、アントヌッチ中尉が輸送機の中で聞いたという横田管制と123便の間の交信に該当する会話が採録されていないのだ。123便が刻々と横田基地に近づいている時間帯。その時間帯のCVRには、123便から横田への着陸要請や着陸を受け入れる旨を伝えた[とアントヌッチ中尉が10年後に主張する]横田からの通信が一切残っていない。(p.p.75-76)

◆事故から10年後 衝撃の「アントヌッチ証言」
‥事件から10年後の95年8月20日、『サクラメント・ピー』紙に、自分が123便墜落事件で経験したことを手記にまとめて発表した。さらにその内容は、米軍の準機関紙『星条旗(Stars and stripes)』紙に転載発表される。(p.153)

◆事故直後には真実を知っていた報道陣―政府は真実の報道を禁じた
某新聞記者は、自衛隊ヘリが墜落現場からオレンジ色の残骸を吊り上げる写真を撮った。本社に送られたその写真は、翌朝の朝刊トップに載るはずだった。ところが、この写真はなぜか没になった。‥後に自衛隊の機材にはオレンジ色の塗装がされていることが分かり、やっとその重大性を認識したという。(p.196)

Tuesday, April 16, 2019

青山透子『日航123便墜落 遺物は真相を語る』

Aoyama, T. (2018). Nikkō hyakunijūsanbin tsuiraku ibutsu wa shinsō o kataru. Tōkyō: Kawadeshobōshinsha. 

‥相模湾の海底に沈んでいる航空機残骸の回収について、当初、群馬県警側は捜索することに大変意欲的であったが、事実上、事故調査委員会に仕切られていたためにできなかった。
それについて群馬県警の警察官は「‥運輸省っていえば、我々より、上級の官庁だから、群馬県警がしゃしゃりでたら都合の悪いことになっちゃうんだな」(吉岡忍『墜落の夏』)と話していたと書いてある。私がインタビューをした検死現場の医師たちも同じようなことを語っていたが、遺体安置所を視察にきた運輸省など中央官庁の官僚たちに対して最敬礼で迎える河村一男群馬県警本部長の言動からも警察主導の難しさを感じていたとのことである。

 その後河村氏は、運輸省に[遺体の杜撰な取り扱いを改善してほしいと]直談判しに行った遺族の吉備素子さんへの尾行や嫌がらせといった仕事に転職したようだが、一体どちらを向いて仕事をしてきたのだろうかと疑わざるをえない。むしろ遺族に対して十分な捜査ができなかったと詫びるべきだろう。これらの行為は吉備さんから訴えられても仕方がない言動である。そして河村氏が語った言葉が「事故原因を追究すればアメリカと戦争になる」では、日航もボーイングも罪を認めているのだから、脅しとしても全くつじつまが合わない。(p.p.36-37)


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[習志野空挺団は]落下傘部隊の名を持つ精鋭部隊である。前著『墜落の新事実』での聞き取りでは、日航機墜落時、[123便がまだダッチロール中の十八時四十分、救助ヘリの]エンジンをかけたままでの待機命令が出て、今直ぐにでも現場に行ける態勢をととのえていたが、その後、待機解除命令が出たことで、墜落後すぐに現場に駆け付けられなかった、とのことであった。日頃の訓練において夜間降下も含めて高い能力を持つ部隊がなぜすぐに救助に行かなかったのか、という多くの批判が寄せられた。山下徳夫運輸大臣(当時)も、そう言われて国会でいろいろと釈明せざるを得なかった、と語っている。(p.p.72-73)

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[遺体が収容された]体育館内では、群馬県警の警察官で実際に現場にいち早く入った人から聞いた話で、すでに山から下りてきた人がいて、その人のものらしい弁当の空き箱が落ちているのまで見たそうである。実は、その話も機長の服が見つからない話も関係者の間では噂となっていた。まるで焼夷弾のように[遺体が]焼かれている、と語った年配の医師もいた。(p.98)

群馬県警察医の大國勉氏(八十五歳)は‥「火災現場での真っ黒に焦げた焼死体」‥に関しても数多く見てきたが、あの日航123便では、それらとまったく異なると語った。
「真っ黒の塊を見ていたら、頭蓋骨の目の部分、眼窩が三つあって、これは二人だっていうことになった。写真撮影しながら絡み合った遺体をゆっくり外していったけど、ポロポロの状態でね。この遺体が新婚旅行帰りの新婚さんだって後からわかって。多分二人は怖いから、大丈夫、大丈夫って抱き合っていたのかねえ。表も裏もすべて真っ黒だった」
 通常、土の上などの地面に接した肉体部分は熱の温度に差が出て、生焼けの状態となるが、この遺体は驚いたことに裏側も表側も真っ黒状態だったという。‥戦争経験者であればすぐ思いつくのが、焼夷弾が落ちた後の道端の遺体である。ナパーム弾といった油脂焼夷弾も同様だ。衣服などに油脂が付着して高温状態がその場に留まり続けて、しかもその状態を維持したまま何時間も炭化するまで燃え続ける武器である。(p.p.61-62)


「ああ、この人も生きていたなあと思う人もいて、早く救えたらなあと思いました。新婚さんなんか顔を寄せ合っていたのかと思うほど、真っ黒なんですけど、あごが二つめり込んで、そこから手を入れて歯型を引っ張り出して身元確認をやって。頬寄せ合っていて、きっと怖いのを我慢していたんだろうねえって私たちは思っていたんです。‥」[土肥福子歯科医師](p.99)
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その「塊」だが、墜落後に上野村住民が尾根の整備を行った際にコツコツと拾い集めたものだった。‥まるでマグマが固まって冷めた岩のように見える。‥かなりの量のベンゼンが含まれていることから見ても、大量のガソリンが使われていたことになる。‥次に硫黄だが‥その数値の大きさからすると偶然に混入した、ということではないと考えられる。(p.126-142)

あの日、上野村の墜落現場の山奥で、ジェット燃料ではなく、ベンゼンが含まれる大量のガソリンが用いられ、航空機の構造物であるジュラルミンが融解してドロドロになって固まり、その中に硫黄成分を含むゴムのような粘着性の高い物質が含まれていた、という事実は、[火炎放射器等の]武器使用の可能性を最大に高めた結果となったのはまちがいないと考える。(p.145)


日航123便墜落から一か月後に自殺と報道された羽田整備工場メンテナンス・コントロール室調査役の日航職員(当時)‥は首や胸など数か所を果物ナイフで刺して亡くなった、とあったため、これで自殺なのかというのが社内での大きな疑問であったと聞く。ある警察関係者は「自分で数か所も刺す前に通常は一回目で気絶するし、ましてや普通の人の自殺で首は切らない」と思ったそうである。(p.160)

二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックに向けて国際線の枠を増やす目的で東京都心上空を通過する羽田空港新ルートが導入されることが決定している。‥新ルートでは、最も事故が多発する「魔の十一分(クリティカル・イレブン・ミニッツ)」の離陸後三分、着陸前八分に[米軍]横田空域に入る。
 着陸間際のパイロットに最も集中力が必要なこの時間帯に羽田の管制から[米軍]横田管制へ、そしてまた羽田へと切り替わる。もし、管制官として公務中の米軍人がミスを犯し、事故を起こした場合、日米地位協定では第一次裁判権が米軍側にあるため、日本が調査したくても、運輸安全委員会は米軍の許可が必要なのだ。‥昨年も米軍の絡む事故が多発し、‥米軍は責任を取らず、さらに「空域返還」の交渉すら棚上げしている。(p.p.178-179)

Saturday, March 30, 2019

青山透子『日航123便墜落の新事実』

Aoyama, T. (2017). Nikkō hyakunijūsanbin tsuiraku no shinjijitsu: Mokugeki shōgen kara shinsō ni semaru. Tōkyō: Kawadeshobōshinsha. 

‥乗客[の家族]に詰め寄られた町田直副社長(運輸省からの天下りで元運輸事務次官)は、思わず「北朝鮮からのミサイルに撃たれたのだ」と叫ぶ。その数日後、町田氏は社長候補だったにもかかわらず『遺体安置所にて扇子で仰ぐ姿』を写真に撮られて失脚する。

 緊急放送が続々と流れ、テレビや新幹線内にニューステロップで事故が報道された。その中には多くの人々が驚いた緊急報道があった。それは『自衛隊員二名が射殺された模様』というものだったが、その数分後『先ほどのニュースは誤報でした』という内容だった。具体的には二十時頃、『ただ今現地救助に向かった自衛隊員数名が何者かに銃撃され、死者負傷者が多数出た模様です。情報が入り次第お伝えします』であったと記憶する。なおこのニュースは二〇一〇年まで動画投稿サイトで流れていたが、今は削除されている。(p.p.71-72)


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…実際に取材の過程において、第一空挺団は十二日、十八時四十分[*日航123便墜落時刻十八時五十六分より前]に災害派遣待機命令が出ていた、という証言もある。私の公式ブログを見て、前著の出版社に来られた元自衛官も同様の話をしていた。大型ヘリのバートルのエンジンがかかった状態で待機、隊員はすぐ乗り込み離陸する予定だったが、その数十分後に翌朝まで待機と命令が変更になって、無理やりエンジンを切らされたという。(p.136)

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 川村一男氏といえば、群馬県警察本部長で日航機事故対策本部長を務め…捜査の指揮を執った方である。‥この河村氏は警察を退職し、再就職して大阪に行き、その後神戸に住まいを構えた。その再就職先から[遺族の]吉備さんに電話がかかってきたという。その内容は……。
「‥私を監視するためにわざわざ大阪に来たんやっていうてね。ずっと見ているぞっていう感じの話しぶりでした。…」

…再就職したとはいえ監視をほのめかすとはどういうことか。まず、監視そのものが通常では考えられない行為である。(p.87)


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[山下徳夫運輸大臣(当時)は]私が話すことを、さもありなん、という顔で聞いてくださったことはとても不思議だった。‥大臣という地位にあっても、すべてを正確に把握できる環境になかったのかもしれない、そう強く感じたのは、山下氏の別れ際の一言だった。
「あのね、日本はなんでもアメリカの言いなりだからね。遺族が再調査を望むのであれば、ぜひすべきだと思う」(p.99)


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[遺体の炭化と墜落現場のガソリンとタールの異臭、火炎放射器に関する話を]元自衛官にしたところ「核心に近づくと妨害や脅迫が増えてくるから気を付けたほうがよい」という丁寧なアドバイスまで頂いたが、逆に核心はこちらだ、ということを暗示されたようなものだった。(p.158)

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アントヌッチ元中尉証言:「米海兵隊の救援ヘリが二十時五十分に地上の様子を偵察するために降下中なのを視認した。」(p.31)

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  [福島第一原発で]毎日新たに約400トンもの汚染水が汲み上げられて1000基以上のタンクに保管されていくとのことだ。‥」「フランジ型」と呼ばれる大量のタンクはすでに老朽化し始め、汚染水が漏れ出ている。今度はこの古いタンクの解体作業が始まる。一日約六千人の作業員が毎時300マイクロシーベルト(3号機周辺)という職場で働いている。このツケを私たちの子孫に渡し続けなければならないのである。
 それでもなお、原発事故はなかったことと思い込みたい人々や、現政権を支持して再稼働を願う人がいるのはなぜだろうか。これは、人間にとって最も大切な共感力が欠落しているとしか思えない。(p.p.173-174)

Tuesday, March 26, 2019

奈良女子大学文学部なら学プロジェクト編『大学的奈良ガイド』

Nara Joshi Daigaku Bungakubu. (2009). Daigakuteki nara gaido: Kodawari no arukikata. Kyōto: Shōwadō. 

 敗戦直後の日本に連合軍兵士が進駐することになったとき、日本政府や国民が抱いた大きな不安は、女性たちが犯される、ということであった。…一九四五年八月一八日に内務省警保局から各府県長官に無電された通達は、一部の日本人女性を進駐軍相手に働かせる特殊慰安婦施設の設置を促すものだった。‥こうした動きを受け、進駐軍向けの慰安婦施設が各地に設けられていった。‥[八月二九日以降には]国家的緊急事業の一環として進駐軍向け慰安婦施設で働く女性を募集する立て看板や新聞広告がだされていく。(p.254)

‥連合国軍総司令部(GHQ)は一九四六年一月二一日、公娼制度廃止に関する覚書を発令する。‥ただし、生活の糧を得るため個人が自発的に売淫行為を行うことを禁止するものではなかった点に注目したい。(p.255)


 現在の奈良教育大学キャンパス一帯、鴻ノ池運動公園、航空自衛隊幹部候補生学校、積水化学工業奈良工場のあたりを中心に、敗戦直後、奈良進駐軍の兵営(キャンプ地)が複数つくられた。そして、奈良に進駐する兵士向けの特殊慰安婦施設が、一九四五年一一月一日、新温泉ホテルや、あやめ池新温泉に設置される。(p.256)

「奈良市内では米軍兵士の争奪に火花を散らし付近は人肉の市となり、パンパン宿が市内に百三十六件もありなんの恥じらいもなく平然と性の営みをやっている。」[「大和タイムス一九五二年九月四日の記事。](p.259)

‥売春婦やポン引きの横行、兵士と売春婦の大胆な振舞いがエスカレートするにつれ、[米軍専用娯楽]センター周辺の児童・生徒への影響が懸念されたことは言うまでもない。センター付近の校庭に使用済み衛生用具が放置されたり、児童が「パンパンごっこ」をして遊んだり、青少年の非行・犯罪や売春が増加するなど、事態を憂慮した奈良市中学校長会代表らは市長に対し、センターの移転・廃止を要望、もしこれが困難な場合は、早急に何らかの風紀取り締まりを行うよう陳情した。(p.260)

Saturday, March 2, 2019

吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』

Yoshida, M. (2002). Nihon no koto wa naze kūshū o manugaretaka.

[History of Mass Mindcontrol with Stockholm Syndrome]


 古都に空襲がなかったのは、その文化財を保護するためにアメリカ軍が爆撃を控えていたからであり、そのことを進言した“古都の恩人”はウォーナー博士であるという、≪ウォ―ナー伝説≫は全く事実無根であった。(p.209)


 米軍による爆撃によって焼失した日本の文化財は、国宝二九三件、史蹟名勝天然記念物四四件、重要美術品一四三件であり、合計四七一件もが灰になったという。(p.66) …都市地域を攻撃する際の米軍がとった戦法は、おもに精密爆撃とジェノサイド(genocide 大量虐殺の意)爆撃という二つに区分することができる。
…第二・第三期の都市爆撃で主要な戦法としてとられたこの焼夷弾爆撃は、住宅密集地域への無差別爆撃であり、民間人の皆殺しをも企図したものであった。まさにジェノサイド爆撃と呼ぶにふさわしい、すさまじい空爆となったのである。(p.p.103-104))



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 "原爆の攻撃目標[*京都・広島・新潟など]はワシントンからの秘密指令によって他のいかなる形式の攻撃からも一切除外されていて、原爆の使用に対する効果だけを得られるほとんど無傷の地域であった"〔USSBS, Final Report No.66 : The Strategic Air Operation of Very Heavy Bombardment in the War against Japan, 1946〕(p.97)


  京都の場合、梅小路機関車庫[現・鉄道博物館付近]がその照準点とされていたのである。 [*目標が視認しやすく、また原爆の爆風を京都市の住宅密集地域の隅々に行き渡らせ、できるだけ多数の京都市民を殺害できるため。] …もしここに原爆が投下された場合、六〇万人もの死傷者の出ることが推計されている。(p.94)

[*昭和二〇年八月二四日に予定された]三発目の原爆は投下される寸前まできていた。…[*パンプキン爆弾と呼ばれる原爆と同重量の通常炸薬爆弾で]京都への投下練習が着々と積み重ねられていた。このような状態で戦争が終結した結果、京都は爆撃禁止の状態におかれつづけたため、結果として、本格的な空襲がないという結果を生み出したのが真相だったのである。(p.205)


〈マンハッタン計画〉の総指揮官グローブズはその回顧録で次のように書いている。
“…もし、われわれが京都を原爆目標として勧告していなかったならば…[*原爆の代わりに通常爆撃によって]戦争が終わるまでには、全滅しないまでもかならずや、さんざんな損害を受けていただろうということはいえるだろう。”


…大都市の爆撃では二〇〇~三〇〇機のB29が一時間以上もかけて爆撃をする。その場合、あとから来たB29にとって、目標とされた地域がすでに先行機の爆撃で火の海となっていることはよくあることである。その際、火の海に爆弾を棄ててもしかたがないので、そのB29は、帰路において適当と思われる目標物を見出して投弾するか、また、文字どおり爆弾を棄てたりするのである。


 京都に関して…〈爆撃禁止命令〉‥の期間にあった六月二六日の西陣出水に対する爆撃は、B29一機が一トン爆弾七発を投下したものだが、これは当日の名古屋地方への爆撃の[*余った爆弾を棄てるための]付随的爆撃であると考えられる。(p.p.110-112)
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 モニカ・ブラウが著した『検閲』という書物は…次のように記している。
 “日本人のあいだでの情報のやりとりを統制、監視する付加的な手段として、アメリカの宣伝をはかる特別の一局が設けられた。これは「民間情報教育局」(CIE)とよばれた。この機関は、「日本人の思考を改造…する」ために、日本の新聞、ラジオ、学校、教会、およびあらゆる種類の組織を活用することをめざしていた”
 また、CIEは教育映画を無料で配給して、学校・公民館・PTA・青年会・労働組合・農業協同組合などで上映させた。そのために、一六ミリ映写機も無料で貸し出された。


 CIEの前身は、太平洋戦争において「ラッカサン・ニュース」などで活躍した米軍の〈心理作戦課〉であった。…つまり対日心理作戦の専門部隊であった。そして、CIEの局長であるダイク准将も、《ウォーナー伝説》の創作者ヘンダーソン中佐も、共に対日心理作戦に従事した専門家だったのである。

 つまり、CCD[*民間検閲支援隊]が検閲を通して、原爆報道などアメリカの悪いイメージの流布を阻止することを任務としていたのに対して、CIEの任務は宣伝によって、日本軍国主義の批判やアメリカのよいイメージの普及をはかることにあったのである。(p.p.227-229)
原爆投下の真実 「第一目標 京都、19発投下」 予定であった。

Sunday, February 24, 2019

内海聡『トクホを買うのはやめなさい』

Utsumi, S. (2015). Tokuho o kau nowa yamenasai: Isha ga oshieru jitsu wa abunai shokuhin. Takeshobo. 

みなさんもお店で並んでいる大豆食品などに、「遺伝子組み  換えではない」と表示されているのを見たことがあるのではないでしょうか。このように表示されていても本当は5%以下のGMO作物が混入している可能性が高い[※5%以下なら表示義務はないため]というのはお話したとおりですが、このようなインチキと言える食品表示法を押し付けたのは実はアメリカであり、ヨーロッパなどでは到底許されないことが日本では平気で行われています。(p.84)

「食の危険性」内海聡の内海塾

兵頭二十八『日本人が知らない軍事学の常識』

Hyodo, N. (2014). Nihonjin ga shiranai gunjigaku no joshiki. Soshisha. 

Fukushima Reaktor 3 Explosion

浜岡、東海第二、柏崎刈羽原発が東京を無人の町に変える

「ジャンボジェット級旅客機が墜落して、激突したとしても、ビクともしない」と太鼓判が押されていたのは、原発の構造物のうちの「圧力容器」と「格納容器」だけであって、その外側の「原発建屋[燃料取扱棟]」には、ロクな「防弾力・防爆力」はなかったのです。そして、何かの力が加われば容易に飛散し、ガレキと化すような脆弱な壁の内側(それも、よりによって建屋のいちばん高いところ)に、使用済み燃料棒を冷却しながら貯蔵しておくプールが置かれていたのです。
 このプールを、弾道弾ではなく、ありふれた「戦術ミサイル[対艦ミサイル、対戦車ミサイル、対空ミサイル等]」で破壊し、燃料棒のジルコニウム外皮を傷つけてやり、冷却水をプールから漏脱させてやり、あるいは冷却システムを停止させることは、わけもありません。
 安価で、ありふれている戦術ミサイルが一発命中して爆発するや、ただちに、現代最兇のパニック物質であると証明済みの「沃素131ガス」が、周辺へ漂い出すでしょう(なにしろ東電社員すら現場を捨てて逃げ出したほどです…)。(p.285)

 
…日本の隣国の軍隊は、日本の領海のちょっと外側から、射程四〇キロメートルのいちばん安価な対艦ミサイルを奇襲的に発射するだけで、「沃素131パニック」を起こしてやることができるでしょう。(p.286)



2/3【兵頭二十八】質疑応答 こちらが本番? レベルの高すぎる参加者の質問 前半

3/3【兵頭二十八】質疑応答