Saturday, February 29, 2020

高田昌幸[編]『希望』

Takada, M. (2011). Kibō. Tōkyō: Junpōsha. 

見栄とか意地とかプライドだとか、見えない怪物だよ

茂幸雄(しげ・ゆきお) 六七歳
自殺防止のNPO代表 福井県


自殺したときの遺書なんか読むと、皆さん、「死にたくない」ということなんですね。‥自殺未遂で保護した人の話を聞くと、やっぱり死にたくないのよ。‥助けを求めたいんだけど、助けを求める場所がない。(p.p.75-76)

東尋坊では‥飛び込む場所も三ケ所ってほとんど決まっている。そこに保安員を置いておけばいいんですよ。あの当時、シルバーに働いてもらおうっちゅう、行政のほうで割り当てがあって、それをこっちに持ってきてくれ、と言ったんだけど、地元が反対するからできないんや、って。行政のほうは、地元の顔色ばっかりうかがって、何もしない。そういう風潮があったよね。
…ここの町全体が、自殺の名所を売り物にして観光が成り立っていた。(p.77)


もう一つ言うと、自殺したいと言う人が、どこへ助けを求める場所があるんですか、って。警察は何も権限ないのね。警察官職務執行第三条に「保護」ってあるんやけど。犯罪でないから、警察は保護したら、二四時間以内に保護者か福祉課に渡すことになっているの。市町村が保護を決定して実施しなければならない、という規定があるんだけど。それを、自分とこの財政負担になるんで、県外の者を何でせにゃいかんの、って言うの。‥白昼堂々と(保護の拒否が)行われていて。これもまさしく犯罪なんやって。‥ここで自殺を誘発している。死にたくないのに死なせているのは誰や、って。(p.80)

Monday, February 24, 2020

本間龍『原発プロパガンダ』

Honma, R. (2016). Genpatsu puropaganda

欧米では寡占を防ぐために、一業種一社制、つまり、一つの広告会社は同時に二つ以上の同業種他社の広告を扱えないという制度を取っている。たとえば、自動車業界でトヨタと契約したなら日産やホンダの仕事はできない、といった縛りがあるのだ。…日本にはそうした決まりがない。このため、どの業種でも上位二社が全てのスポンサーを得意先として抱えることができるうえ、CM制作から媒体購入までの一貫体制を敷ける二社が圧倒的に優位な仕組みとなっている。

さらに特殊なのは、欧米の広告会社の基本スタンスが「スポンサーのためにメディアの枠を買う」なのに対し、日本では「(メディアのために)メディアの枠をスポンサーに売る」という体質を持っている。つまりメディアは、電博に「広告を売ってもらう」という弱い立場にあるため、昔も今もこの二社には絶対に反抗できないのだ。

反原発報道を望まない東電や関電、電事連などの「意向」は両社によってメディア各社に伝えられ、隠然たる威力を発揮していった。東電や関電は表向きカネ払いの良いパトロン風の「超優良スポンサー」として振る舞うが、反原発報道などをしていったんご機嫌を損なうと、提供が決まっていた広告費を一方的に引き上げる(削減する)など強権を発動する「裏の顔」をもっていた。そうした「広告費を形にした」恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった。


そして、原発広告を掲載しなかったメディアも、批判的報道は意図的に避けていた。電事連がメディアの報道記事を常に監視しており、彼らの意図に反する記事を掲載すると専門家を動員して執拗に反駁し、記事の修正・訂正を求められたので、時間の経過と共にメディア側の自粛を招いたのだった。(p.p.iv-v)

電事連は…過去の広告費を一切公表していないが、その金額は二〇〇〇年以降毎年五〇〇億円以上だったと推測されており、だとすれば東電含め年間七〇〇億円以上という、途方もない巨額が原発プロパガンダに費やされていたことになる。
電事連は電力各社からの賛助金で活動しているのだから、つまりは電力会社が広告していたのに等しい。そういう団体が予算規模を開示せず、国民から吸い上げた電気料金を湯水のように使い、国内広告市場で「知られざる巨大スポンサー」として君臨、国民を洗脳していた


…その「広告スポンサー」としての表の顔とは別に、電事連には裏の顔があった。それは、原発に関してネガティブな記事を書いたり、放映したメディアに対し、執拗に抗議し訂正を迫る「圧力集団」としての顔である。…当該記事の内容を誤りとし、中には専門用語を延々と羅列し、掲載メディアに対し、その訂正を迫ったものも多々あった。…ことあるごとに電事連から抗議が来るのなら、「面倒だからもう原発批判の記事を書くのはやめよう」という気持ちにさせる目的があったのだ。


ちなみにこれらの記録はすべて電事連のHPにアップされていたが、原発事故後の二〇一一年四月一一日に全削除された。それは、原発プロパガンダに荷担した証拠隠しの一端だったのだろう。(p.p.27-30)

チェルノブイリ原発事故直後はさすがに全国紙での広告掲載は影を潜めたが、地方では続いていた。ようやく八八年になって、全国紙での原発広告復活の狼煙となったのは、六月から朝日や讀賣新聞に掲載された「原子力発電、あなたのご質問にお答えします」という全15段の4回シリーズだった(「私たちはこう考えて原子力発電を進めています。」の15段広告を含めれば5回)。

 このシリーズは博報堂の制作で、読者から寄せられた質問に電事連が答えるという形式をとった。まだインターネットも携帯電話もない時代に、広告主と読者の双方向性を新聞紙上で実現しようとした、当時としては新しいやり方ではあったが、難解な原発問題に関して読者からの反響は集まらず、紙上に掲載された質問のほとんどは、博報堂社員の家族が書いたはがきによるヤラセであった

 しかも、読者の原発に対する不信感を取り除こうとするあまり、八八年七月五日掲載の回では「チェルノブイリのような事故は決して起こり得ない」などと断定している。ではもし起きたらどうなるのか、という当然の疑問には答えようがなかった。結局、二〇年後の二〇一一年の事故発生時でさえ、何もできなかったことは周知の通りである。(p.p.63-65)


その後事故の深刻さが明らかになると共に、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体は脱兎のごとく証拠隠滅に走った。原子力ムラ関連団体は、それまでHPに所狭しと掲載していた原発CMや新聞広告、ポスター類の画像を一斉に削除したのだ。

事故以前、東電のHP上には様々な原発推進広告が掲載されていたが、一斉に消去され、二〇〇六年から新聞や雑誌広告と連動させてHP上でも展開していた漫画によるエネルギー啓蒙企画「東田研に聞け エネルギーと向き合おう(弘兼憲史)」もいち早く三月末には削除した。


…さらに原発プロパガンダの総本山である電事連さえ、原発に批判的な記事をあげつらって反論していた「でんきの情報広場」の過去記事を全て削除した。NUMOも、過去の新聞広告やCMの記録をHPから全部削除した。そして資源エネルギー庁も、HPに掲載していた子ども向けアニメ「すすめ!原子力時代」などを削除した。また、二〇一〇年から大量の原発広告を出稿した東芝も、自社HPの広告ライブラリーから原発に関連する広告画像をすべて削除した。

そうした証拠隠滅に走ったのは、原子力ムラ関連団体だけではなかった。驚くべきことに、大手新聞社や雑誌の雑誌社の過去掲載広告事例集からも原発広告が削除された。事故の前年に一〇回も原発広告を掲載していた讀賣新聞でさえ、自社の広告掲載事例から東電の原発広告を消去した。

…これらの団体や企業が、それぞれが関与した証拠をことごとく消去したのは、そこに後ろめたさがあったからに他ならない。莫大な金を投入して作ってきた広告は、すべて嘘だったのだ
あれほど絶対安全だといい張り、クリーンだなどと幻想を振りまいていたのに、事故が起きたらその証拠を消去しなければならないほど、自分たちの言説に責任も誇りも持っていなかった。カネに魂を売って安易に作り続けてきた作品群は、カネの切れ目が縁の切れ目とばかり、あっさり闇に葬られた。…まさしくそれが悪しきプロパガンダであったことを、鮮やかに証明したのだった。(p.p.137-140)

Friday, February 14, 2020

末井昭『自殺会議』

Suei, A. (2018). Jisatsu kaigi. Asahishuppansha. 

繊細と乱暴 東尋坊の用心棒

…数人いた議員さんのなかで特に権威のある議員さんが、茂さんの横に来て次のように言ったそうです。
「〔略〕東尋坊での自殺防止については何も言わず、何も行動を起こさないでおくのが得策なんですよ。悲しい事ですが、ここ東尋坊では全国から自殺をしに沢山の人が来ており、自殺の名所になっていることは知っています。しかしその事で東尋坊の土産屋さんや三国町も潤っているのです。あの東尋坊の景観だけでは他県の景色に勝てません。〔中略〕自殺防止については、そのことを口にすること自体が地元の人の意に反することになり、自殺防止を口に出しただけで、その警察官は、三国警察署にいる間は何も協力してもらえなくなるよ……」
これを読んだときゾッとしました。自殺してくれる人がいるから東尋坊が潤っている、だから自殺者を減らしてはいけないと言っているのです。それに反した行動を取ろうとする茂さんを脅しているのです。
(p.103)


国やら県とも話するんですけど、みんな青少年の自殺防止せにゃあかんと言う。私から言わせると「ボケるな!」ですよ。ものすごう腹立つんです。ここにいて、今日までに高校生や中学生、二十一人ほど助けてきました。あの言葉、全然違うんですよ、解釈が。
いじめられたら自殺する。逆に言えば、いじめられたら自殺しなきゃあかんと言っとるんです。そしたら自分の気持ちが認められる。社会に対して、友達に対して、学校に対して抗議している、それが認められる。僕はそのために自殺しなきゃいけなかった。まともにそういう人たちの話を聞いていない。聞いてないから報道にもならん。間違った対策を学校当局がやっとる。
マスコミがよー聞きに来るんです。「最近どんな自殺が多いですか?」「こんなんですか?」。「ボケんなっ!」って怒ってやるんです。なんとかして形をつくりたいんですよ。それで十把ひとからげにしてしまっているんです。それによって苦しんでる人がたくさんいる。

…先生はいろんなことを勉強して、いろんなこと知ってなあかんのやけど、私に言わせればまったく聖職と言われることができてない。彼らはみんな自分なんですよ。自分のことしか考えてんのですよ。この子にこうしてあげたよ、誰もひとことも言わない。全体的におかしいと思うんです、死に対して。自殺という言葉を軽はずみというか、もてあそんでいるとうのかな、ワシから言わせれば。(p.p.111-112)

自殺を決心した人が、みんな助けてくれと言うんです。今日まで声を掛けた人五九九(二〇一七年七月二十一日現在)人、みんな死ぬの怖いって言ってるんです死にたくないって言ってるんです。だから人命救助なんです。これを発信する人がどこにもいないんです。(p.p.112-113)

カウンセラーいますね。悩みを聞いてあげて共感しなさい、そうすればカウンセラーとしての資格を与えてあげますと言うんです。カウンセラーって何?共感って何?その人の悩みごとにうまく共感できて受け止められたって?じゃあこうしなさいって具体的なこと言えますか?そんなもんで国家資格与えるの?それで命救えんの?
それは共感じゃない。言葉だけの「わかったよ」っていうこと。ほんとうの共感は、会ったときからできる。共感できたらじっとしていられんって。死にたいってんだよ(と言って、茂さんは少し涙ぐんでいるように見えました)。
資格者はいらんのです。私のために何をしてくれるかだけ。精神科行きなさい。病院行って薬もらって先生に言われた通り薬飲んで、最初二粒から始まりました、いつの間にか十五粒に増えてました。そんな人、何人もここへ来てる。命に関しておかしいと思わんのかって。
ワシ、マスコミにバンバン出てます。ところがカットカット。テレビ局がみんなカットする
――どんなことがカットされるんですか?
いまワシがゆーたこと。(p.p.117-118)