Wednesday, October 21, 2026

岸田秀 『唯幻論始末記』

 岸田秀, 1933- author, Kishida Shū., & Kishida, S. (2019). 唯幻論始末記 : わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか. Isoppusha.


アメリカのイコールパートナーという自己欺瞞


ハル・ノートは日本を対米宣戦布告へと追い詰めたが、アメリカには日本を追い詰めた自覚はないであろう。・・・一部の者を除き、軍事力・経済力・工業生産力が格段に劣る日本が大いなる希望に燃え喜び勇んで戦争を始めたわけはない。


アメリカ空軍は八月十五日の朝まで本土空襲を止めなかったが、若者のほとんどは前線へと駆り出されていたので、女子供と老人しか残っていなかった日本本土の都市のほとんどを焼け野原にした空襲は、非軍事地域の非戦闘員の虐殺であり、明らかに戦争犯罪であった。


日本の敗北は決定的となっており、アメリカが勝つためにもはや不要であったにもかかわらず、原爆を投下したのはなぜか。…アメリカは敵対した生意気な日本を根こそぎ破壊したかったのである。アメリカの存立のために原爆を使うことは何ら必要なかった。原爆を使ったのは愚劣・傲慢にして残忍なサディズムに動かされたのである。それ以前から明らかであった日本側の降伏条件を認めさえすれば、日本は原爆を落とされなくても降伏したはずである。アメリカは日本のそのような降伏では満足できなかったというだけのことである。アメリカは日本を徹底的に破壊したくて日本の降伏を遅らせようとしていた。


アメリカ人は原爆投下を、日本が先に真珠湾奇襲という卑劣な騙しうちをしたことに対する報復であるとして、もし日本がそのような卑劣なことをしなかったら原爆投下をしなかったと言いたがっているようであるが、アメリカ大陸の先住民は、イギリスから来た植民者が飢えと寒さで絶滅しかかっているのを助けた。アメリカ人はそのことを忘れたのか、そのあと先住民を大虐殺し、その土地を奪った。このことからも、相手が先にひどいことをしたから、その報復としてこちらもひどいことをすることになったというアメリカ人の正当化は成り立たないことがわかる。

東京裁判は、事後法に基づき勝者が敗者を裁くとんでもない違法行為であり、なぜアメリカが東京裁判を強行したかを問題にすべきである。アメリカ人が自己満足し、日本人の誇りを奪い、侮辱する以外に何の役に立ったのか。


現在の日本のことを考えてみると、敗戦後七十年以上経ったにもかかわらず、いまだにアメリカ軍の占領が続いているのはいかにも異常である。(p.p.194-195)


無意識へと抑圧された「アメリカへの怒り」


日本人の内的自己は、当然のことながら、戦前よりさらにいやまして戦後は、アメリカに対してはらわたが煮えくり返るような怒りを感じているはずであるが、しかし、怒りは外的自己が結んでいる友好的な日米関係を乱すため、深く無意識へと抑圧されている。

深く無意識へと抑圧されたそのような怒りが日本人の精神内で毒素となって、数々の見苦しい不幸な事態と事件を起こしているが(政府は国際関係においてどうすればいいかいつも自信なく迷っている。アメリカの言う通りにすればいいと思っているのか、自分の判断がない。政府や官僚の隠蔽体質、国民の高い自殺率、鬱病の蔓延、ヘイトスピーチ、子をぎゃう対する親、子供のいじめなどは、この事態が招いている症状ではなかろうか)、今の日本人はその真の原因を心のどこかでは薄々と知っているのだが、おおっぴらにはっきりとは知りたがらず、わざわざ見当違いのところに原因を探すので、いくら探しても見つからない。見つかるはずがない。


アメリカに対する怒りを抑圧して服従するのは、このように日本人が日本人であることの誇り、日本人が日本人として存在する価値と意味を失わせ、目先の物質的・金銭的利害など問題にならない軽量不能の大被害を国としての日本にも個人としての日本人にも与えているが、これを日本人はなるべく見まいとしている。


…また、アメリカも日本に恨まれていることを知らないフリしながら知っているので、日本に対する警戒を怠ることなく、アメリカの安全のため日本の占領を続けている。(p.p.108-109)


Saturday, October 17, 2026

岡野守也 『唯識のすすめ』

岡野守也著.(1947- ), Okano Moriya,(1998). 唯識のすすめ : 仏教の深層心理学入門. Nihon hoso shuppan kyokai. 

 二十世紀はどんな時代だったか 

 第一は、近代とは、人類の史上でも最大の戦争を二度もやった時代です。そして使い方次第では人類が絶滅しうるような戦争の道具、核兵器を作った時代だということです。

 …それから第二に、近代、特に二十世紀は、資源の浪費と環境の汚染・破壊という意味で、いわば自分自身の立っている足もと・足場を崩しつつある時代だといっていいと思います。 

 …それから第三点は、近代は、すべてを物質に還元して捉える科学――というより「科学主義」がはびこって、人間の心、精神性、人間が人間として生きていることの意味が見失われつつある時代だといっていいと思います。 …そういう目で人間自身を見ていきますと、人間も結局のところは物の集合体・運動体にすぎないと見えてきます。もちろんただの物には意味がありえません。…意味がないということを突きつめて考えますと、非常に空しくなります。とことん突きつめると自殺したくなったりしかねませんから、ふつうは見つめないで、何となくそういうことは考えないで、とりあえず生きることにしているわけです。

…しかし、人生に意味はないのだけれども、とりあえず自分自身の快感・不快感はありますから、そうなると、「自分の快楽を追及して生きるしかない」という話になりかねません。その場合、根源的に意味がないものには善悪もありえませんから、自分勝手に生きることをとどめるものは、他の人が迷惑だというので止めること以外にはないことになります。そうすると、「迷惑さえかけなければ何をしてもいい」という考え方が一つ出てきます。 もっと突きつめていきますと、「迷惑をかけてもばれなければいい」という考え方にもなりかねません。
もっと進みますと、「たとえばれても自分の方が強くて他者から制裁を受けなければいい」というところまでいってしまいます。 …そういう生き方をみんながしていくと、さまざまなところで社会的に大きな問題が起こってくる。社会的にも精神的にも、深刻な問題が出てくると思います。(p.p.12-15)

Wednesday, February 4, 2026

玉城健一 『実話 集団ストーカーに加担する悪党警官の実態』

玉城, 健一, & Tamaki, K. (2024). 実話集団ストーカーに加担する悪党警官の実態 : 真面な人間を精神病者に仕立て上げる方法. Tsumugi shobo.

 私が受けた嫌がらせは、第三者から見るとただの偶然にしか見えず、とても嫌がらせには見えない。彼らが利用した嫌がらせは、専門家の間でガスライティングと呼ばれている手法で、証拠を取るのが難しい方法だった。(p.2)

私が警察官時代に聞いた話では、公安警察の仕事はスパイやテロリストなどの監視が仕事だが、田舎の警察署の公安担当者は、監視対象となる人物が少ない又はいないため、時間を持て余し暇である。そのような場合、監視する必要のない一般市民の中から適当に監視対象を決めて、監視練習(ネットの閲覧履歴、通話履歴、部屋の盗聴、ゴミの持ち去りによる生活パターンの把握と個人情報の入手、尾行などによる行動パターンの把握など)を行うこともあるという。私は、この監視練習となってしまった。このような行為は、本来の監視対象ではない一般市民に行なう行為のため、警察による人権侵害と職権乱用罪になる。
この本を読んでいるあなたは、他人事のように思っているかもしれないが、あなたも監視練習の対象になる可能性は十分にある。
…本書によって、本当の悪党に立ち向かう勇気をもってもらいたいと思う。(p.p.3-4)

この悪党警官は集団ストーカーどもを操り陰険なやり方で私に嫌がらせを仕掛けてきた。彼らは、嘘や誇張した情報を世間に流し、私を悪人に仕立て上げようとした。しかし、本当の悪党は、世間を騙し善人の仮面を被った彼らの方なのだ。最終的に私は彼らを撃退することに成功した。この本にその過程を詳細に記した。忘れないでほしいのは、彼ら悪党どもは、嬉しいことを嬉しいと感じ、悲しいことを悲しいと感じ、怖いことを怖いと感じる、私たちと同じただの人間だということである。本書によってあなたは集団ストーカーに打ち勝つことができるし、警察による監視練習の対象となってしまった時の対抗策も知ることができる。

〇私が行なった集団ストーカー撃退方法は、絶対に他言無用でお願いしたい。貴方が死んであの世に行っても秘密にして欲しいのだ。もし、貴方が約束を破ったら、私は貴方を一生恨みます!。この言葉が、本を使った貴方への脅迫状だと言われても仕方ないと思っている。そして、覚悟がある方だけ、このお話の続きを読んでもらいたい。(第三章 悪党抹殺計画より)
〇日常動作を悪用し相手をノイローゼにする方法
〇真面な人間を精神病者に仕立て上げるには
〇加害者にもかかわらず、被害者になりすまし周囲を誤魔化す方法
〇警察官は聖人君子ではない!悪い奴もいるよ!
〇無知に付け込み市民を脅迫する警察
〇仕返し目的で職権を乱用する悪党警官
〇嘘だろ!警察は納税額で悪党か善人かを決める
〇ど暇警察による市民監視練習の実態
(Amazon.co.jp)

Sunday, August 17, 2025

藍原寛子 『フクシマ、能登、そしてこれから』

 Aihara, H. (2025). フクシマ, 能登, そしてこれから : 震災後を生きる 13人の物語. 婦人之友社.


「風評被害」への異議―あきらめない

今、水戸さんは、国や電力会社、行政が「風評被害」という言葉で市民の言論を封殺しようとしているのでは、と懸念する。18年8月、福島原発の汚染水海洋投棄を議論する経産省の公聴会が郡山市で開かれた。水戸さんは意見発表人として出席、主催者側が会の冒頭で使った「風評被害」という言葉を、「放射能に対する不安や議論を封じ込める言葉だ」と指摘した。(p.93)

「現場に足を運ぶこと」の重要性

福井県の敦賀、美浜の原発が林立する地域を通り、その先々で地元の人から直接、原発の話を聞いた。
興味深いことに、複数の人と一緒に会っても誰も意見を言わない。ところが1人に個別に会って話を聞くと、ボソボソと本音を話しだした。何度か通ううちに、敦賀市の僧侶で反原発運動に携わる立花正寛さんに会う。立花さんは「長い間坊主をやっているけれども、がん患者以外の葬儀はしたことがない」と語った。立花さんは夜、門徒さんたちから話を聞く機会を設けてくれた。すると、彼らは次々に「うちの息子が取られてな」「うちの息子も取られた」と悲しげに語った。「取られた」という意味を尋ねると、「電力会社に息子が殺されたという意味だ」と打ち明ける門徒さんたち。
…さまざまなことを教えてくれた立花さんも、がんのために亡くなった。
(p.p.196-197)

活断層のリスクを軽視しない

北野さんは24年5月の志賀原発廃炉訴訟の口頭弁論で、原告団長として「志賀原発周辺は大きな活断層だらけ。珠洲原発同様、建ててはいけないところに建ててしまった」と活断層評価や避難計画の問題点を指摘した。 
「…能登半島地震で、かなりの人が『もし志賀原発が動いていて事故が起こったら、閉じ込められ、見放されたまま被ばくするかもしれない』と危機感を抱いた。原子力ムラは巨大でしぶとい。でも住民が自分の問題として捉え始めている」。
(p.223)

のと、と、ふくしま、と

珠洲市狼煙町で、発災後、住民が農家のビニールハウスに集まって避難生活を送った地域を訪ねた。
…ビニールハウスで生活した1人の高齢の女性が、私の車の「福島」ナンバーを見つけて、「福島からきたの」と驚いた。
…その女性は、周りに誰もいないのに小声になった。「私はあの時、[珠洲]原発に反対したんですよ。私ら、原発に反対した人たちは、計画が凍結されてからもいっぱい嫌がらせを受けました」。元日の地震直後、この地域も孤立集落になった。(p.p.224-225)

Wednesday, July 9, 2025

Stout, M.『良心をもたない人たちへの対処法』

Stout, M., & Akiyama, M. (2023). 良心をもたない人たちへの対処法. 草思社.

ソシオパスを定義づけるもの

 サイコパスもソシオパスも同じ意味でよく使われているのだ。いずれも良心が欠如した個人でありそうした者のなかには暴力的な傾向をもつ者がいれば、そうでない者がいる。
(p.32)

司法の目さえあざむく

彼らの多くは、普通の人たちと同じように、投獄や死刑の宣告など望んでおらず、そんな状況に追い込まれないように注意している。恋人を破産に追い込んだり、同僚の経歴を台無しにしたり、あるいは、無防備な人の心に生々しい傷を刻み付けることに比べれば、殺人の場合、犯行が発覚する公算ははるかに高く、厳しい断罪から免れるのは難しい。罪悪感がないので、行動を制限する心の仕組みはもちあわせていないが、彼らは彼らで抜け目なく計算している。
…通常、ソシオパスが直接的な暴力に及ぶのは、社会の目から隠れて行える家庭内においてだ。…家庭内暴力は起訴されても立証が難しく、そもそも起訴されるケースが少ないので、ソシオパスにとってはブレーキもかかりにくい。

刑務所はソシオパスであふれていると思われがちだが、これも事実と異なる。それどころか、犯した行為で逮捕・投獄されたソシオパスの例はむしろ珍しいくらいなのだ。ソシオパス(と彼らの被害者)について調査を進める研究者は、現在の法律体系では彼らの犯行を漏れなく捕捉することはできない現実を突き止めた
アメリカの刑務所に収監されている者のうち、ソシオパスは平均で二〇パーセントにすぎない。

…多くの人たちにとって、生きることは真摯に向き合うべき営みで、その最大の見返りは他者の愛であり、人との結びつきだ。
だが人を愛せない人間がこの世にはいる。人みなすべてが良心をもっているわけでもない。それどころか、良心をもたない人たちという限られた少数派は、人に苦しみをもたらし、苦しみにあえぐ相手の姿を楽しんでいる。(p.p.38-41)

ガスライティングは、被害者自身が自分の正気を疑う心理的虐待の一種で、この名称は一九四四年に公開された映画『ガス燈』に由来している。
…ガス燈は劇中で使われているトリックのひとつで、家のガス燈を明滅させ、これは自分の妄想なのだと妻に思い込ませていく。第三者から見ると、ガスライティングという心理的虐待のもっとも痛ましい点は、一見すると無意味な手口であるため、第三者からすれば、被害者が漏らす不満があまりにも奇妙で、被害妄想じみたものに思えてしまう点にある。そのため、被害者が脅えている危機状況がまったく信じられなくなってしまうのだ。(p.p.120-121)

”閉鎖系”の関係にはびこる職場のソシオパス

職場のソシオパスに見られる特有の行動

・被害者をほめそやす
・自分を大きく見せようとする
・親切で役に立つふりをする
・誘惑しようとする
・嘘をつく
・他人に過大なリスクを負わせようとする
・他人の共感を得ようとする
・他人のせいにする
・脅して自分の意に沿わせる
・血も涙もなく平気で人を裏切る

…[被害者側には]挫折感や徐々に希薄になっていく自己肯定感、他者を信頼する能力の大半が失われ、自分さえ信じられなくなるという、ソシオパスに翻弄された者ならではの様子がうかがえる。

職場において、精神的な疲れを強いられる、不安定な閉鎖系〔当事者しか知らない孤立した状況〕におちいっていたら、閉塞した関係の風通しをよくするため、少なくとも外部の誰か一人以上に現状を打ち明けておくことをおすすめしたい。
その場合、打ち明ける相手は、会社とは無関係の親しい友人や家族、あるいはセラピストでもかまわない。話す際にも「ソシオパス」などの専門用語を使う必要はまたくなく、職場でいま起きていることを話すだけでいい。

また、自分の窮地に対して、相談相手がただちに解決策を教えてくれるとか、自分と同じ意見であると期待してはならない。…外部の声をインプットして閉鎖系を押し開くことはなによりも大切だ。第三者に事情を話し、話を聞いてもらうことで動揺は鎮まり、何が起きているのかについて、それまで以上に客観的に考えられるようになる。心に余裕ができれば、ソシオパス特有の行動パターンが見極められるので、こうした関係に自分をおとしいれた相手の正体が明らかにされるかもしれない。
(p.p.120-125)

職場のソシオパスから自分を守る五つの原則

⑴ 心のプライバシーを守り続ける
攻撃してくるソシオパスに対し、相手の願い通りに怒ったり、脅えたり、うろたえたりする姿を見せてしまうと、彼らの支配欲をますます高めてしまう。彼らは被害者の脅えを糧にしているので、被害者が苦しむほど彼らの人心操作は激しくなる。望みは被害者を”支配する力”であり、うらうぃかいて剝き出しになった被害者の素の心を見て楽しんでいる。それだけに心のプライバシーを守り抜くことができれば、彼らは期待通りの結果が得られない。

冷静を保つことがなにより大切だ。感情のコントロールができないなら、動揺が表情やしぐさに現れないようにする。…何をされても動揺しない事実と、彼らの問題行動こそ社員全員の目標に対する障害だと自分は考えているという警告を与える。

⑵ 何をすべきか十分に考えたうえで判断する

ソシオパスの問題に直面して、会社にとどまって最後まで戦い抜くのか、あるいは自分の生活を台なしにする会社から離れるのが望みなのかきちんと考える。…自分の事情を最優先し、できるだけ早く会社を辞めることは卑怯なことではない。身の安全と自分が愛する者たちに対する責任を果たすこともまた、正しい判断なのである。 

⑶ どのような手順で進めていくのか

まず、彼らの行動は徹底して記録に残しておくことである。
…告発者を敵と考えるソシオパスは、相手が不在のときをねらい、十中八九、あなたの備品を盗み見ようとするはずだ。…仕事に関係のない私信などの書類はひとつ残らず会社から引き揚げることを忘れてはならない。無難な私物にすぎないが、他人の個人情報を悪用する手口に長けているのが彼らなのだ。

⑷ 私情は交えず、会社の利益を訴える

会社の上層部に近い役職者との面談を設定する。…人事部や直属上司を通したりしていては、ソシオパスの息がかかった者を相手に交渉する可能性が高まる。
私情は交えずに話を進める。自分の利益を求めてこの場にいるのではない。大きな犠牲を強いる組織内の問題について知らせ、その解決を提案するためにここにいるのだ。個人的な感情は控え、自分の被害者意識も訴えてはならない。
…また、「ソシオパス」などの心理学用語ではなく、誰にでもすぐに理解できる、明白でありきたりの言葉を使って話を進める。「話に嘘が多い」「仕事をごまかしている」「嫌がらせが絶えない」「人をだまそうとする」「人を操ろうとする」「ものがなくなる」などのような、彼らの不誠実な言動がこれほど大きな損害を会社に及ぼしているのか、その点に沿って話を進めていく。

⑸ 「会社の対応」をふまえて身のふり方を考える

 会社がなんらかの対策を講じ、ソシオパスを封じることができれば苦労した甲斐もあるので、その意志があるなら、会社にとどまって仕事を続けていけばいい。
しかし、進言に対して会社がなんの反応も示さず、ソシオパスへの対応を個人の問題のままにしておくなら、この会社は人生の貴重な時間を捧げるのにふさわしい場所かどうか判断しなくてはならない。…あなたはソシオパスには支配されておらず、彼らの罠にはめられたわけでもない。自分の意志にしたがって会社を辞めることで、心のプライバシーを守り、自分自身であり続け、平穏な毎日にふたたび戻るため、前向きな行動を起こしたのだ。
(p.p.130-137)

ソシオパスの戦意をそぐ「無関心メソッド」

{ソシオパスは}絶えずつきまとうこの退屈をなんとかしようと、刺激と高揚感への渇望がかき立てられていく。こうした状況のもとでは、あなたこそ退屈をまぎらわす格好の気晴らしなのだ。
…相手が脅したり、挑発したりするような言動を示しても動揺したそぶりは見せず、まったく気にしていないふりをして応じるのだ。もちろん内心では尋常ではない動揺を感じているはずだ。…しかし相手の前では、気にしていないようにふるまい、話を交わさなくてはならない。警戒心や恐怖心、あるいは怒りを悟られないよう、まったく無関心を装うのだ。
…被害者の警戒心や恐怖心、怒りとは、ソシオパスにとっていわば心理的なドラッグなのだ。相手がこのドラッグの中毒者なら、被害者がやることは、相手のハイな気分を台なしにしてやればいいのだ。
…気持ちがすぐに表れてしまう人でも、多くの人たちがこの方法を実に効果的に使ってきたので、どうか安心してほしい。動揺が表に表れないようになるにはいささか練習して慣れておく必要があるが、準備すればまちがいなく実行できる。
(p.p.180-181)

ソシオパスはなぜ専門職に多いのか

良心をもたない人のなかには、社会的な評価というきらびやかな衣装をまとうことで、ほかのソシオパスより巧妙に正体を隠している者がいる。
…ひとつは、わたしたちには立場と肩書に応じて人を値踏みする傾向があるか点だ。つまり、地位の高い人ほど人格者だと思い込んでしまう。
…二つ目は、ある種の専門職には、ソシオパスにとって喉から手が出るほど魅力的な特権が備わっている点だ。教師や医師、聖職者やセラピストは、大勢の人たちに対して「対人関係の影響力」があり、相手から疑いの目を向けられることはほとんどない。また、外部の干渉を受けないプライバシーが確保されているので、職場環境によって第三者の目から容易に逃れることができる(これも別のタイプの閉鎖系といえる)。
…専門職のソシオパスについて、わたしに寄せられる話のなかでも、群を抜いて多いのが教育関係者と医師に関してである。
(p.p.138-139)

ソシオパスが抱える二つの弱点

・ソシオパスに関する客観的な情報を念頭に置いておく
・最終的な目的を変えてみる(何を目的に戦っているのか見なおしてみる)
・相手の目的でなく、自分の目的について重点的に考えをめぐらせる。
・自分の感情を相手に悟られないようにする。
・良心と共感をもつ人たちとのつながりを深める
・相手との対応はあれもこれもと取り組まず、実行可能な範囲で小分けする
・自分のペースを崩してはならない
・理性的に考え。結末を重んじて行動する
・ストレスマネジメントを心がけ、健康管理に気をつける

ソシオパスは自分から始めた攻撃であるにもかかわらず、二つの弱みを抱えており、これらはたがいに関連している事実を理解しておいてほしい。

⑴ソシオパスが”勝利“を実感できるのは、被害者を思うように操り、支配しているときだけで、こうした形で実感できなくなってしまうと、攻撃そのものへの興味をやがて失っていく。被害者は勝つ意味(目標)を自分で設定できるので、彼らよりも柔軟に戦うことができる。

⑵ソシオパスは、他者の感情を悟れず、共感を覚える基層をもっていない。他者の感情に普通の人が数学の問題を解くように。、頭を使い、知的に判断することでしか理解できない。したがって、彼らに挑発されたとき、少しでも自分をコントロールできれば、本当の気持ちを彼らから隠せるのだ。そうすることによって、ソシオパスがなにより嫌がる「退屈」という天敵の出現をうながすことができる。(p.p.242-243)


適度な自己愛と病理的な自己愛

ソシオパスの場合、欠けているのは良心と他者への共感の両方だが、ナルシシストに欠落しているのは他者への共感だけなのだ。ソシオパスは他者とは感情的に結びつくことができず、他者の感情を直接感じ取れない。これに対してナルシシストは、他者の感情は感じ取れないが、彼らなりの形で他者とのつながりをむすぶことができるのだ。
…
適度な自己愛(健全なナルシシズム)は、精神的な発達を遂げ、大人になって健全な精神生活を送るうえで、誰にとっても必要とされるが、過剰なほど肥大して、他の感情を圧倒するようになるとナルシシズムに苦しむようになる。このような状態になると対人関係を損ねるばかりか、ほかの人を苦しめるようになるので、専門家のなかには、この状態を「病理的」「有害」「悪性」なナルシシズムだと形容する者もいる。
(p.p.251-252)

ナルシシストに感染しやすい人たち

反社会病質のリーダーと自己愛のリーダーの心理学上のちがいとは、前者は嘘と人心操作と恫喝によって他者に働きかけ、一方、ナルシシストのリーダーは嘘とマニピュレーション、そして情動感染によって人に影響を与えている。
…もしも自分のもとにドナルド・トランプと同質の人格的特徴を示す患者がきたら、その患者はまちがいなく自己愛性パーソナリティの持ち主にちがいないと、わたしはまえまえから考えてきた。彼に見られる人格的特徴は、仰々しいふるまい、他者に対する共感のみごとなほどの欠落、そして、注目され、称賛されることへの過剰すぎるほどの欲求だ。

…ソシオパスが力を実感するために他者を支配するなら、ナルシシストは自分への称賛のために他者を支配している。

ナルシシストの妄想に水を差し、誰も応じなければ彼らは不満を募らせ、感情は高ぶり、ついには憎悪に満ちた怒りを抱え込む。相手が応じない場合、ソシオパスなら計画をやり直すか、微妙な調整をくわえたり、それまで以上に魅力的にふるまったりする。あるいは、さらに脅しをかけるかもしれない。一方、ナルシシストはますます情熱的になり、彼の信条は説得力に富んだ、きわめて破壊的なものになっていく。ソシオパスの言動はこれという信条とはまったく関係ない。彼らの破壊的な言動は冷酷なロジックにもとづき、唯一の目的は被害者との”ゲーム”に勝つことだ。ナルシシストのように妄想でしかない感情の王国を守るために、自分を見失い、ゲームを破綻させるようなまねはしないのだ。
(p.p.256-258)


”熱い”ナルシシストと”冷たい”ソシオパス

この二つの人格障害にもっぱらうかがえる特徴は、いずれも虚言と狡猾さだ。ソシオパスは嘘をついて被害者を混乱させ、自分の意志にしたがわせている。あるいは「楽しい」という理由だけでそんな言動に及んでいる。一方、ナルシシストが嘘をつくのは虚構の世界を守り、他者から自分が必要とするもの(一貫した称賛と相手の同意)を汲み取るためだ。一般的にはどちらも「病的な虚言者」とよく言われている。そして、両者とも他人を利用する手段として、ずる賢くふるまい、人をあざむこうとする。ソシオパスは生まれつきの詐欺師で、ナルシシストは虚構の人格という世界の住人だ。いずれも、嘘をつき続けていなければ自分の世界が破綻してしまう。

ソシオパスがのどから手が出るほどほしがってるのは、人を支配することと権力である。勝つことそれ自体が目的で、そのために脇目をふらずに戦いに没頭する。ナルシシストは自分が秀でていることを見せつけるため、常に人よりも上位にいなければならない。それだけに、他人の権力と業績に対しては病的な嫉妬心を抱いている。
(p.265)

Sunday, July 6, 2025

大鶴和江 『「ずるい攻撃」をする人たち』

 Ōtsuru Kazue,  (2024). 「ずるい攻撃」をする人たち : 既読スルー、被害者ポジション、罪悪感で支配. 青春出版社.

2020年頃、福岡県でママ友たちの間で孤立した女性が、支配的なママ友に洗脳され、我が子を虐待、餓死させてしまうという悲惨な事件もありました。
これも支配的なママ友がグループ間に悪口を言い、ターゲットになった本人を孤立させ、その孤立したターゲットに対して「私だけがあなたの味方よ」と安心させて、金銭を搾取し続けたのです。

このように仲良しのグループの仲を引き裂く人を「サークルクラッシャー」あるいは「フレネミー」とも呼びますが、言い換えれば「他人の幸せが許せない人」です。
このような人は、自分の欲求不満やストレス、周りへの敵意を表現できない人が多く、表面的には「いい人ポジション」を取り、心配するふりをして他人をおとしめる行為を行ないます。

このような「他人の幸せが許せない人」のターゲットにならないためには、他人の悪口を手土産にして近づく人物には最初から警戒するということが大切です。
うっかりその悪口に賛同してしまうと、あとで「〇〇さんも同じようにあなたの悪口を言っていた」という言質を取られてしまう可能性があります。
…そのような人物に対しては、警戒して秘密は明かさないよう心掛けることと、想像や他人の言葉ではなく、現実や事実を見て客観的に判断する意識を持つことが大事になります。
(p.p.64-65)