Koike, R. (2011). San ichiichi go no sekai no kokoro no mamorikata: Bācharu kara riaru e. Tōkyō: Disukabātuentiwan.
快感イコール幸福という思い込みのなかで
おそらく明治維新、十九世紀の後半くらいから、日本人の間に徐々に浸透してきた、 快感こそが幸福だ、という思考スタイルと、それに基づいて築き上げてきた文明こそが、じつはうつ病を大量に発生させ、年間3万人以上の人が自ら命を絶つという異常事態を引き起こしているように私の目には見えます。(p.59)
「快感」獲得の歴史
私たちが快感をおぼえているとき、脳内には、ドーパミンという神経伝達物質が放出されています。それが脳の局部[tegmentum]を刺激するとき心地よさが生じ、刺激し終わると物足りなさと倦怠感が残るため、再びもっとドーパミンを出したくなる、という仕組みです。(p.61)
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皮肉なことに、快感を感じたくて楽しんでいるはずが、かえって<足りない>という欠乏間が増大してゆく、ということです。
・・・こうして多くの現代人が<不感症>になり快感がすっかり飽和したかのように見えていた時代に、その飽和状態を塗りかえるかのようにして出てきたのが、インターネットだったように感じております。 情報とコミュニケーションにより得られる<快感>が、最新の商品として現在は市場を席巻しているように見えます。(p.p.64-67)
<コミュニケーションのやりとりを多くの他人が見ている>という仕組みのほうが中毒化しやすい・・・[この]本質はツイッターやフェイスブックでも変わっていないようです。 他人とのやりとりそのものを一般公開することによって、<自分がいかに人とつながることができているか>を実感し直す、というさびしい営みによって、快感が脳内に生み出されている のです。(p.81)
<自己洗脳>を解く
無防備にテレビを観たり、インターネットで情報の洪水を浴びたりしているうちに、私たちの心はその都度、快や不快を感じつつ、記憶のなかに不必要な思考を植え付け、いつのまにかある種の<洗脳>を受けてしまいます。
そのいわば<自己洗脳>を解いて目を覚ますには、情報にアクセスしたときには、「自分が快を感じているのか不快を感じているのか」「自分の脳内ではどういう思考=非現実が生じているのか」と点検しておくことが、じつに役立つことでしょう。(p.27)
記号的ヴァーチャルから身体的リアルへ
記号的ヴァーチャルから身体的リアルへ
今回の災害では、海外メディアが、このような悲惨な状況のなかにあってもお行儀よく助け合う日本人を賞賛し、さかんにもてはやしました。私のところにも、日本人に学ぶべきといったテーマで、韓国から取材がありました。どうして日本人はこういうときにも協力し合えるのかと。
そこで答えました。日本人というより、東北人だからなんですよ、と。もし、同じ地震が、快感中毒者の集まる東京で起きていたとしたら・・・・。今回のことは、日本人がすばらしいのではなく、東北の人たちだったからのことだと思います。
私が思うに、東北の人たちというのは、日本のなかでも、東北に残ろうという選択をしている人たちです。・・日本にいる多くの人たちが東京に行きたいとか、大阪に行きたいとか・・とにかく情報があるところに行こうとするなかで、いや、東北はすばらしい、ここは生まれ故郷だし、自然も多くて、食料も生産している、誇りに思えるすてきな場所だと思っている人が残っているのだと思うのです。
少なくとも快感を最大化したいという人は、東北には残らなかったでしょう。 (p.p.95-96)
2 comments:
「他人とのやりとりそのものを一般公開することによって、<自分がいかに人とつながることができているか>を実感し直す、というさびしい営みによって、快感が脳内に生み出されている」
これはまさに携帯を拝むように握りしめ、他の集団ストーカーとストーキング犯罪活動でつながり、それに依存しなければ一日も生きられない、暗くて寂しいストーカー犯罪者たちのことですね。
「皮肉なことに、快感を感じたくて楽しんでいるはずが、かえって<足りない>という欠乏間が増大してゆく、ということです。
・・・こうして多くの現代人が<不感症>になり快感がすっかり飽和したかのように見えていた時代に、その飽和状態を塗りかえるかのようにして出てきたのが、インターネットだったように感じております。」
これは集団マインドコントロールを受けた大衆が携帯電話を握りしめ、嬉々として集団でストーカー犯罪に熱中している姿からもわかる。
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