Saturday, May 17, 2014

岡田尊司『あなたの中の異常心理』

 Okada, T. (2012). Anata no naka no ijo shinri. Gentosha.
(誰でも日常行為のなかに)他人の不幸を見るのが面白いという「覗きのトム」の快楽が潜んでいる。覗き見趣味は、現代では日常的な楽しみの一部、健全な娯楽となっているとさえ言えるだろう。
イラク戦争のときに、バグダッドの上空から、ミサイルで狙い撃ちされるトラックや建物が映し出された。まるでゲームの中の出来事のように破壊される映像を見て、失われる命やそれが生み出す多くの悲しみについて考えた人はどれだけいただろうか。むしろすごいなあという感嘆の声を聞いたものだ。
だが、そんな現代人においてさえ、覗きという行為が自己目的化してしまうと、「異常」とみなされてしまう。窃視症と呼ばれるもので、覗き見すること自体が目的化したものだ・・・。
現代では、窃視症もはるかにハイテク装備になった(が)・・覗き行為や盗撮で、教師や警察官といった公的な仕事を担う人が捕まるという事件が後を絶たない・・・。
しかし、スカートの中を覗こうとする涙ぐましい努力と、お茶の間でテレビカメラが映し出す惨劇の光景をご飯を食べながら見るのと、どちらが異常かと問われれば、考えこむ人もいるだろう。(P.P.78-79)

スタンフォード監獄実験は、人間には支配しようとする強い衝動があり、それが密室的な状況では、暴走しやすいことを示すものである。家庭内暴力や虐待、イジメにおいては、まさにこの状況が現出していると言える。支配する側は、あたかもそれが正当な「努め」のように思い込み、相手に服従を求め、刃向かえば暴力をふるう。それが長期にわたって続いてしまいやすいのは、暴力によって支配する側が、支配という快感を得るからであり、表沙汰にならない限り、そうした行為をすることによって不利益や苦痛といった罰則が生じないからである。
 権力の座に就いたものが、それを手放したがらないのも、そこに麻薬的な報酬が存在するからだと考えれば、納得がいく。(P.134)

 なぜ人はイジメをするのか。イジメをめぐる多くの議論が忘れていることは、イジメには強烈な快感が伴なうということである。いじめている側は、面白くてたまらないのである。・・いじめる側にとっては、いじめられる相手は、快感を与えてくれる麻薬のような存在なのだ。・・相手をいたぶることを麻薬の代わりに用いているのである。(p.p.57-58)

 そこには短絡的な快楽回路ができあがり、無限にループしつづけるのである。その短絡的な円環において、他者は排除されている。相互的で共感的な他者とのかかわりはない。自己目的化した快楽の追求は・・ますます歯止めを失いやすいのである。(p.67)

 だが問題は、なぜそうした悪の快感にはけ口を求めなければならないのかということだ。破壊的な行動に耽るとき、必ずその人自身も危害を加えられる体験をしたり、阻害された思いを味わっているものである。愛され、大切にされている存在が、そうした行動に耽ることはないのである。(p.63)

 (観客の女性に、勃起したペニスを見せるようになった、動物園の)サル同様・・(性交せず)ディスプレイ行動だけで満足するようになり、それがいつのまにか、自己目的化したのが露出症といえるだろう・・ディスプレイ行動自体にも快感が伴なうためと考えられる。・・露出症の人は、人格的にも、どこか子供じみていて、虚言傾向があったり・・幼い頃の自己顕示的な欲望が満たされないことが・・根底にあるという説明は、おおむねうなずける・・。(p.72)


ここ何十年かの日本社会は、成熟した他者との関係を育むよりも、自己対象的な関係を長引かせやすくなっていると言えるだろう。それは一言で言えば、社会の自己愛化である。(p.196)

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