Saturday, February 5, 2011

『続・そして、死刑は執行された』 合田士郎


 <<刑務所の独居房の実態>>

 独居拘禁――1.5坪の檻に二十四時間一人でいると
どうなるか。二年もすれば唯我独尊の一人言。自分で
しゃべり自分で答えるようになり、三、四年すれば
誇大妄想もいいところで織田信長や徳川家康の化身の如く
錯覚を始め、五、六年で「我は天皇なるぞ、図が高い」と、
完全に精神異常、狂ってくる。
 監獄はそれを承知で、冤罪を主張する者や反逆的な奴に
これを使う。いくら「助ける会」が出来ても本人の気が狂えば、
世間も「もしや?」という疑念を抱くのを狙っているかの
ようだ。それだけに李得賢のとっちゃんなど、
さんざん懲役にいじめられても、独房だけは絶対に

行かなかった・・・
(p.129-130)

1 comment:

n said...

「夜中になるとあちこちの房から呻き声が聞こえ、冤罪かどうかもこれで、はっきりわかった」


 ある日、俺の部屋に新入りが来た
・・・「女子大生殺し」だった。
 国電巣鴨駅の女子便所内で、東洋大学の女子学生を暴行。
悲鳴をあげられたので刃物でメッタ刺しにして殺害。
この中山青年・・(課業を終え)還房してくると
就寝・滅灯になっても寝ないのだ。
「お前寝ないのか?」
「寝るのが恐いのです」
・・俺はとっさに(自分が昔いた)東拘四舎二階を
思い出した。殺人、死刑求刑、良心の呵責と死の恐怖で
毎日毎晩眠れなかった。頭を掻きむしり、胸を押さえられ、
幻を見たり幽霊を見たりで夜が恐くて(自分も)眠れなかった。
  毎晩のように奴さん(も)、「ううーっ」と
胸掻きむしり、歯を食いしばり、目を剥き油汗流して
うなされとる。
 「おい、おい」と揺り起こすと、「はっ」と
我に返りタオルで汗を拭いている。「大丈夫か?」
「ええ」、眠ると必ず誰かが胸に乗り、髪振り乱して
首を絞めるのだと言う。
「供養したりや。お前が殺した女子大生の亡霊が出るんやろう」
 俺は教誨師に頼み供養してもらった。ところが
それでも治まらない。毎日毎晩、「ううー、うーうー」と
うなされ、寒気がするのか体を震わせ胸を掻きむしっとる。
「お前、まだ何かあるんやろ」
俺は言ったが、中山は黙っていた。
「いくら殺ったのを隠しても良心までは隠し通せんぞ。
きれいな体になったほうがいいんじゃないか・・・」
 中山はまもなく独房に行き、放心したように虚脱状態となり、
やせ衰えて見る影もなくなっていたが、やがて迷宮入りの
戦争未亡人殺し事件を自供したとのこと。
『亡霊におびえ自供・・・時効寸前の葛飾区
戦争未亡人殺しを自供』
新聞や雑誌は多分に嘲りをもって発表した。
・・・「いいさ、いいさ、あれでいいんだよ」と
俺はむしろ喜んでいた。
  殺しを隠し通しても、時効で逃れても、
良心の呵責がある。良心におびえ亡霊に悩まされ、
夜な夜なうなされて・・・。殺しの監獄東拘四舎二階の夜を
見てよく分かっていた。
(夜中になるとあちこちの房から呻き声が聞こえてくるのは、
 のちに移った宮城刑務所でも同じで、
冤罪かどうかもこれで、はっきりわかった)
(p.129-132)

『続・そして死刑は執行された』合田士郎