Saturday, September 28, 2019

白石拓 『透明人間になる方法』

 -- スーパーテクノロジーに挑む
Shiraishi, T. (2012). Tōmei ningen ni naru hōhō: Sūpā tekunorojī ni idomu. Tōkyō: PHP Kenkyūjo. 

念じてコンピュータを操作

二〇〇九年にはホンダのロボットASIMOを脳で念じて動かす実験に成功した。…「近赤外光脳計測装置(NIRS)」と脳波計測の二つを併用して、被験者の脳神経活動の読み取りを強化した。NIRSは、近赤外線を頭蓋から照らし、脳に当たって反射する光を捕らえて、脳血流の変化を計測する装置である。
被験者はまず「右手」「左手」「足」「舌」の単語について、それぞれ自分のイメージを思い浮かべる練習をする。…そして、そのときの神経活動データを蓄積し、計測データから単語を特定するアルゴリズムを構築した。こうした結果、被験者が「左手」(のイメージ)を思い浮かべただけで、ASIMOが左手を上げる動作をすることに成功した。(p.p.40-41)

脳リーディングを利用した犯罪捜査

たとえば、被験者を尋問する際、犯人しか知り得ない事実や写真を提示すると、被疑者がもしそれを知っていればP300という事象関連電位[脳波]が発生する。P300の発生も不随意で、被疑者が「知らない」と答えても記憶と合致すると必ず出るのでウソをつくことができないのだ。(p.49)

脳内の映像を読み取るfMRIと認識パターン


さらに二〇一一年、アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校の西本伸志研究員らのチームが、やはりfMRIを使って、映画の予告編を見ている被験者の脳活動を読み取り、ぼんやりとした映像ではあるものの、動画の再生に成功した。…この技術を使えば、人が見ている夢や空想していることをディスプレイに映し出すことも不可能ではない。脳リーディングの技術は確実に進歩している。(p.53)

Wednesday, September 11, 2019

亀岡修、百瀬孝 『よみがえる戦前日本の全景』

Kameoka, O., & Momose, T. (2015). Yomigaeru senzen nihon no zenkei: Okurete kita kyōkoku no seido to shikumi. Tōkyō: Mainichiwanzu. 


非常に強力だった警察の権力

…悪名高い特別高等警察(当初は特別高等課)が警視庁につくられたのは、一九一一年(明治四四年)です。こちらは各種社会運動の取り締まりを任務にしたので「思想警察」ともいいました。…彼らはスパイを潜入させ、拷問を行い、法を乱用しましたが、それは当時の世界の警察では当たり前のことで、特別高等警察に限りませんでした。
 また、全国の特高を統制していたのは内務省警保局の保安課で、全国の特高課長人事を握り、全国一斉検挙などの指令を出していました。戦後、特高警察官は一斉罷免になっていますが、保安課長と所属員は内務事務官という名であって警察官ではなかったため、罷免には該当しませんでした。ただし、課長は自発的に辞職しました(のちに復活)。 (p.p.57-58)


米兵による自動車強盗事件

[米軍]先遣隊が入って早くも三日後には、進駐軍による強盗事件が発生しています。
一九四五年(昭和二〇年)八月三一日、夜。大蔵省主税局長の池田勇人、大日本麦酒(現アサヒビール)常務の山本為三郎が、大蔵次官を辞めたばかりの田中豊を誘い、銀座の牛鍋屋で送別会を開いたあとのこと。三人の乗る車が米兵に止められます。手には大型拳銃を持っており、「降りろ」といわれ、三人と運転手、そして助手席にいた大蔵省課長の前尾繁三郎はすぐに降ります。代わって米兵たちが乗り込み、猛スピードで走り去りました。


…このとき国民が最も不安に感じていたことが、そういった略奪と、米兵による婦女子に対する暴行です。…イの一番に進駐してきた横浜界隈からは大量の避難民が流れ出し、京浜国道にひしめき合ったといいます。田舎に逃げ出そうと上野駅や新宿駅も疎開騒ぎのときのような混雑だったそうです。…心配したほどではなくても、やはり強姦事件は起きていますし、その防波堤をつくろうという動きも起きています。(p.p.264-266)

Saturday, July 27, 2019

茂幸雄『自殺をくい止めろ!東尋坊の茂さん宣言』

Shige, Y. (2010). Jisatsu o kuitomero tōjinbō no shige san sengen. Tōkyō: Sanseidō.

 課長は…別名「瞬間湯沸かし器」とまで言われる直ぐ大声を出す口の悪い人で、一般人がいる前であってもヒステリックに大声を出して指示する嫌なヤツでした。
 こんな嫌なヤツですから他の職場にも知れ渡っており、そこへの異動が決まったときには同僚たちから同情の目で送り出されたのです。

…仕事に対する指示は厳しく、一つの小さなミスでも見付けだしては課長席の前に直立不動で立たされ、子供に物を言っている口調で延々と指示するのです。その態度は、脇から見ていると指示をして楽しんでいるといった感じであり、相手が何度“判りました”と言っても、同じことを何度も何度も言い、人に恥をかかすことなんかは平気です。

…[業務の]結果を報告しても、話の内容もろくに聞かず、何度も言い直しさせられました。そして報告に対する回答を求めても何も答えられず、その挙句にはお前が考えてチャンとしておけと言うだけで、ただ大声を出して指導・育成の名目で彼を罵るだけでした。
 前任者である2人の職員がうつ病に罹り、職場を去って行ったとの噂もありました。

…そんなことから寝不足も続き、ミスが多くなった半年後のある日、月報の締め切りが迫ったとき、“お前はこの職場には適さん!お前は用務員以下の人間だ”と言われてしまい、目の前が真っ暗になって体の震えが止まらず、病院に担ぎ込まれてしまったのです。そして、2日間の入院休暇をとった最中に東尋坊の岩場に立っていたのです。
 この話を聞いた私は、これこそがパワー・ハラスメント(職場の上下関係を不当に利用して行う嫌がらせやいじめ)の典型的な被害者(名誉棄損・侮辱・傷害・労災など)だと考えたことから、この実態を証拠化するため、嫌がる彼を説得してボイスレコーダーを持たせて出勤させ、午前中にあった同僚たちとの会話を録音させ、監察室を訪問して善処をお願いしたのです。
 監察室ではこの事態を重くみて真剣に取り上げていただくことになり、課長には従前から精神障害があるとのことで以降休職扱いになり、彼には、裏で私たちの働きかけがあったことも知らされずに無事職場に復帰させることができました。(p.p.39-43)

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 死を覚悟して東尋坊の岩場に立った人たちが訴えていた言葉から見えてきた日本の社会の問題点です。
1 宗教関係者による対策の怠慢です。
  宗教施設を訪問しましたが、どこの施設も受け入れてくれなかった…。
 との訴えがあります。
  [...]


2 教育関係者による対策の怠慢です。
  義務教育時代、そこでいじめにあい、…それがPTSDとなって大人になっても人との交際ができず、人生の落後者になってしまった…
 との訴えがあります。
 [...]


3 精神科医による対策の怠慢です。
  うつ病になって精神科へ行ったが、副作用の強い薬を勧められ、カウンセリングも3分で帰された。…薬しかくれずに放置されている。このまま生き続けるのが辛い…
 との訴えです。
…現実は、お金儲けになる投薬の部分しか処方してもらえず、「環境の調整」とか「休養」については、ほとんど指導されずに放置されています。
…「自分の患者さんの半数近くの人が自死で亡くなっていると、堂々と発表された医師がいました。…医師として自分の患者さんが…バタバタと亡くなっているのを知りながら放置している現実について、何も心が痛まないのでしょうか?


4 行政による対策の怠慢です。
  生活苦から生活保護の相談をしましたが、住まいのない者には生活保護の適用は出来ないと言われました。…
 との訴えです。
…何の保護の手も差し伸べられずに路上に放り出されたと言う人もいました。
 [...]


5 「自殺の名所」と言われている自殺多発場所に対する対策の怠慢です。
  自殺の名所と言われている場所へ数箇所行き、最後の決断(再起か自殺か)をするために訪れました。しかし何処の名所へ行っても“お好きな所からどうぞ”という場所になっていました…
 との訴えがあります。
…福井県・東尋坊では、年間200人以上の自殺企図者が集まって来ており、過去30年間に600人以上もの人が自殺で亡くなっているのに、放置されているのです。…また、ここでの自殺防止活動をしている我々の団体に対しても妨害活動があり…ただ静観していろと言うだけでした。


6 警察による対策の怠慢です。
 自殺企図者として一時保護をされたが、自分の悩み事の問題解決にはならず、再び、自殺願望の気持ちが強まり、岩場に立ってしまいました…
 との訴えがありました。
 [...]


7 報道機関による対策の怠慢です。
 東尋坊における自殺の現状については、残念ながら、地元地方紙による報道が殆どなされていない現実です。…地元から何等かの圧力がかけられているため事実の報道が出来なくなっているのだとしか思われません。

(p.p.60-69)

Sunday, June 2, 2019

池田整治『未だ占領下にある日本の是非を問う』

Ikeda, S. (2019). Imada senryōka ni aru nihon no zehi o tō: Nichibei chii kyōtei o jieitai motokanbu ga kokuhatsu suru. Tōkyō: Kosumikkushuppan.

最も信頼していた友人が実は敵の回し者だったと知ったら

1993年、私が陸上自衛隊幕僚監部防衛部運用係長だった頃、北朝鮮のノドンミサイル対処で、横田・平壌空路の存在を知りました。横田・平壌空路とは、米軍横田基地と北朝鮮平壌空港を結ぶ定期航路です。
この空路を使って米軍は、大型輸送機に資機材を搭載し、運んでいました。北朝鮮の基地建設材やミサイル部品と思われますが、日本外務省の担当の問い合わせに米軍担当は、「それ以上詮索すると日米関係にひびが入るぞ!」と答え、それ以降「なかった」ことにされています。(p.p.85-86)

その輸送機には日本製のブルドーザーが入っていたこともあります。‥世界金融支配体制の軍事部門が、北朝鮮に基地をつくってやり、さらに精密部品を提供してミサイルをつくらせ発射させ、その脅しで日本から[ミサイル防衛]資金を収奪する、という構図が見えてくるのです。(p.187)

横田空域の秘密


もしこの空域がなければ、例えば、羽田空港→伊丹空港の所要時間が現在50分であるところが30分となり、20分程度短縮できます。燃料も毎年約11万キロリットル節約できるといわれています。…もちろんこの消費燃料代はコストとなって航空運賃に含まれ、乗客が余分に負担しています。
ちなみに、1985年8月12日、羽田を飛び立ち大阪(伊丹)に向かったJAL123便は、この横田空域の上空でトラブルを起こしました。もし、横田空域がなければ、もっと低空を飛んでいて事故にあわなかったかもしれません。機長は直ちに横田基地への着陸を要請したものの、断られたという話も伝わっています。(p.47)


戦後から続く米軍の占領体制とは米軍の欲する部隊を運用する自由

6年間に及ぶ占領時代は、文字通り治外法権の米軍が溢れ、悲惨な事件も多発しました。‥約3万人の婦女子が暴行を受けたと言われていますが、GHQの「プレスコード」により、ニュースに流れることはありませんでした。‥市民が占領軍に治外法権のもと、凌辱を受けていたわけです。(p.117)

米国が日本だけをいつまでも支配する本当の理由

そして、GHQは日本人を洗脳(マインドコントロール)する一環として、白人支配の根幹に触れる本を焚書、発禁しました。それを免れた数冊の本が私の手元にあります。

『思想戦と国際秘密結社』晴南社 
『新聞とユダヤ人』欧亜通信社 
『ユダヤの人々』軍人会出版部 
『ユダヤのタルムード』破邪顕正社 


これらの書を読むと、かつての日本人が西欧社会の本質、国家を超えた資本家による世界支配の実態をよく分析していたことがわかります。
逆にいうと、だからこそGHQは、世界金融支配者にとって都合の悪いこれらの真実の本を日本から葬ったのです。その数なんと、約7700冊!(p.p.103-104)

Saturday, June 1, 2019

小田周二『524人の命乞い : 日航123便乗客乗員怪死の謎』

Oda, S. (2017). Gohyakunijūyonin no inochigoi: Nikkō hyakunijūsanbin jōkyaku jōin kaishi no nazo. Tōkyō: Bungeisha.


‥一人の乗客がカメラを123便の窓の外に向けて夢中で撮った空飛ぶ点影の写真。‥遺族は早速、その写真をマスコミに公開したいと考えた。ところが、群馬県警がそれを制止した。‥惨劇の犠牲者が最後に見たものを写したフィルムを遺族から取り上げて保管し続けた。このフィルムが遺族の手に戻されたのは、それからじつに5年後の歳月を経て‥事故についてもはや誰一人として刑事責任を問われないことが確定した後、さらに付け加えればもはや過失致死事件としての「時効」が成立した一週間後のことだ。(p.48)

◆告白―最後のパズルピース
123便が墜落したその日、ある航空自衛隊の基地司令官(当時)から一人の男性に電話が入った。この司令官は、電話の向こうで男性にこう言った。
「えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ」
この司令官と男性とは、第二次世界大戦中に同じ部隊に所属した戦友だった。共に同じ戦争の時代を過ごした軍人同士の絆は強く、長い年月を経ても相互の信頼は厚いと言われる。その信頼ゆえの気安さだろうか。電話口の向こうで語る基地司令官の声は、まるで「やっちまったよ!」とでもいうようなあけっぴろげな調子に聞こえたという。(p.p.51-52)

◆前橋地方検察庁の不起訴判断
90年7月17日、前橋地方検察庁は告訴・告発されていた関係者について、いずれも不起訴を再決定した。…山口検事正が遺族の前で語ったのは、事故調が描いた事件のシナリオに対するあからさまな批判と否定だった。
<最終報告書を読んだが、修理ミスが事故の原因どうかわからない。> <事故調の報告書は、「曖昧」だと思う。> <機内が静粛であったのだから、隔壁は破壊していない可能性がある。> <ボーイング社は(同型機全体の問題ではなく)事故機だけの原因にしたくて修理ミスを認めたのかもしれない。> <それ(報告書)を見ても、真の事故原因は解らない。> (p.p.20-21)

◆消えたボイスレコーダーの記録
公式に事故調から発表されているCVR(コックピットボイスレコーダー)の中には、アントヌッチ中尉が輸送機の中で聞いたという横田管制と123便の間の交信に該当する会話が採録されていないのだ。123便が刻々と横田基地に近づいている時間帯。その時間帯のCVRには、123便から横田への着陸要請や着陸を受け入れる旨を伝えた[とアントヌッチ中尉が10年後に主張する]横田からの通信が一切残っていない。(p.p.75-76)

◆事故から10年後 衝撃の「アントヌッチ証言」
‥事件から10年後の95年8月20日、『サクラメント・ピー』紙に、自分が123便墜落事件で経験したことを手記にまとめて発表した。さらにその内容は、米軍の準機関紙『星条旗(Stars and stripes)』紙に転載発表される。(p.153)

◆事故直後には真実を知っていた報道陣―政府は真実の報道を禁じた
某新聞記者は、自衛隊ヘリが墜落現場からオレンジ色の残骸を吊り上げる写真を撮った。本社に送られたその写真は、翌朝の朝刊トップに載るはずだった。ところが、この写真はなぜか没になった。‥後に自衛隊の機材にはオレンジ色の塗装がされていることが分かり、やっとその重大性を認識したという。(p.196)

Tuesday, April 16, 2019

青山透子『日航123便墜落 遺物は真相を語る』

Aoyama, T. (2018). Nikkō hyakunijūsanbin tsuiraku ibutsu wa shinsō o kataru. Tōkyō: Kawadeshobōshinsha. 

‥相模湾の海底に沈んでいる航空機残骸の回収について、当初、群馬県警側は捜索することに大変意欲的であったが、事実上、事故調査委員会に仕切られていたためにできなかった。
それについて群馬県警の警察官は「‥運輸省っていえば、我々より、上級の官庁だから、群馬県警がしゃしゃりでたら都合の悪いことになっちゃうんだな」(吉岡忍『墜落の夏』)と話していたと書いてある。私がインタビューをした検死現場の医師たちも同じようなことを語っていたが、遺体安置所を視察にきた運輸省など中央官庁の官僚たちに対して最敬礼で迎える河村一男群馬県警本部長の言動からも警察主導の難しさを感じていたとのことである。

 その後河村氏は、運輸省に[遺体の杜撰な取り扱いを改善してほしいと]直談判しに行った遺族の吉備素子さんへの尾行や嫌がらせといった仕事に転職したようだが、一体どちらを向いて仕事をしてきたのだろうかと疑わざるをえない。むしろ遺族に対して十分な捜査ができなかったと詫びるべきだろう。これらの行為は吉備さんから訴えられても仕方がない言動である。そして河村氏が語った言葉が「事故原因を追究すればアメリカと戦争になる」では、日航もボーイングも罪を認めているのだから、脅しとしても全くつじつまが合わない。(p.p.36-37)


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[習志野空挺団は]落下傘部隊の名を持つ精鋭部隊である。前著『墜落の新事実』での聞き取りでは、日航機墜落時、[123便がまだダッチロール中の十八時四十分、救助ヘリの]エンジンをかけたままでの待機命令が出て、今直ぐにでも現場に行ける態勢をととのえていたが、その後、待機解除命令が出たことで、墜落後すぐに現場に駆け付けられなかった、とのことであった。日頃の訓練において夜間降下も含めて高い能力を持つ部隊がなぜすぐに救助に行かなかったのか、という多くの批判が寄せられた。山下徳夫運輸大臣(当時)も、そう言われて国会でいろいろと釈明せざるを得なかった、と語っている。(p.p.72-73)

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[遺体が収容された]体育館内では、群馬県警の警察官で実際に現場にいち早く入った人から聞いた話で、すでに山から下りてきた人がいて、その人のものらしい弁当の空き箱が落ちているのまで見たそうである。実は、その話も機長の服が見つからない話も関係者の間では噂となっていた。まるで焼夷弾のように[遺体が]焼かれている、と語った年配の医師もいた。(p.98)

群馬県警察医の大國勉氏(八十五歳)は‥「火災現場での真っ黒に焦げた焼死体」‥に関しても数多く見てきたが、あの日航123便では、それらとまったく異なると語った。
「真っ黒の塊を見ていたら、頭蓋骨の目の部分、眼窩が三つあって、これは二人だっていうことになった。写真撮影しながら絡み合った遺体をゆっくり外していったけど、ポロポロの状態でね。この遺体が新婚旅行帰りの新婚さんだって後からわかって。多分二人は怖いから、大丈夫、大丈夫って抱き合っていたのかねえ。表も裏もすべて真っ黒だった」
 通常、土の上などの地面に接した肉体部分は熱の温度に差が出て、生焼けの状態となるが、この遺体は驚いたことに裏側も表側も真っ黒状態だったという。‥戦争経験者であればすぐ思いつくのが、焼夷弾が落ちた後の道端の遺体である。ナパーム弾といった油脂焼夷弾も同様だ。衣服などに油脂が付着して高温状態がその場に留まり続けて、しかもその状態を維持したまま何時間も炭化するまで燃え続ける武器である。(p.p.61-62)


「ああ、この人も生きていたなあと思う人もいて、早く救えたらなあと思いました。新婚さんなんか顔を寄せ合っていたのかと思うほど、真っ黒なんですけど、あごが二つめり込んで、そこから手を入れて歯型を引っ張り出して身元確認をやって。頬寄せ合っていて、きっと怖いのを我慢していたんだろうねえって私たちは思っていたんです。‥」[土肥福子歯科医師](p.99)
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その「塊」だが、墜落後に上野村住民が尾根の整備を行った際にコツコツと拾い集めたものだった。‥まるでマグマが固まって冷めた岩のように見える。‥かなりの量のベンゼンが含まれていることから見ても、大量のガソリンが使われていたことになる。‥次に硫黄だが‥その数値の大きさからすると偶然に混入した、ということではないと考えられる。(p.126-142)

あの日、上野村の墜落現場の山奥で、ジェット燃料ではなく、ベンゼンが含まれる大量のガソリンが用いられ、航空機の構造物であるジュラルミンが融解してドロドロになって固まり、その中に硫黄成分を含むゴムのような粘着性の高い物質が含まれていた、という事実は、[火炎放射器等の]武器使用の可能性を最大に高めた結果となったのはまちがいないと考える。(p.145)


日航123便墜落から一か月後に自殺と報道された羽田整備工場メンテナンス・コントロール室調査役の日航職員(当時)‥は首や胸など数か所を果物ナイフで刺して亡くなった、とあったため、これで自殺なのかというのが社内での大きな疑問であったと聞く。ある警察関係者は「自分で数か所も刺す前に通常は一回目で気絶するし、ましてや普通の人の自殺で首は切らない」と思ったそうである。(p.160)

二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックに向けて国際線の枠を増やす目的で東京都心上空を通過する羽田空港新ルートが導入されることが決定している。‥新ルートでは、最も事故が多発する「魔の十一分(クリティカル・イレブン・ミニッツ)」の離陸後三分、着陸前八分に[米軍]横田空域に入る。
 着陸間際のパイロットに最も集中力が必要なこの時間帯に羽田の管制から[米軍]横田管制へ、そしてまた羽田へと切り替わる。もし、管制官として公務中の米軍人がミスを犯し、事故を起こした場合、日米地位協定では第一次裁判権が米軍側にあるため、日本が調査したくても、運輸安全委員会は米軍の許可が必要なのだ。‥昨年も米軍の絡む事故が多発し、‥米軍は責任を取らず、さらに「空域返還」の交渉すら棚上げしている。(p.p.178-179)

Saturday, March 30, 2019

青山透子『日航123便墜落の新事実』

Aoyama, T. (2017). Nikkō hyakunijūsanbin tsuiraku no shinjijitsu: Mokugeki shōgen kara shinsō ni semaru. Tōkyō: Kawadeshobōshinsha. 

‥乗客[の家族]に詰め寄られた町田直副社長(運輸省からの天下りで元運輸事務次官)は、思わず「北朝鮮からのミサイルに撃たれたのだ」と叫ぶ。その数日後、町田氏は社長候補だったにもかかわらず『遺体安置所にて扇子で仰ぐ姿』を写真に撮られて失脚する。

 緊急放送が続々と流れ、テレビや新幹線内にニューステロップで事故が報道された。その中には多くの人々が驚いた緊急報道があった。それは『自衛隊員二名が射殺された模様』というものだったが、その数分後『先ほどのニュースは誤報でした』という内容だった。具体的には二十時頃、『ただ今現地救助に向かった自衛隊員数名が何者かに銃撃され、死者負傷者が多数出た模様です。情報が入り次第お伝えします』であったと記憶する。なおこのニュースは二〇一〇年まで動画投稿サイトで流れていたが、今は削除されている。(p.p.71-72)


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…実際に取材の過程において、第一空挺団は十二日、十八時四十分[*日航123便墜落時刻十八時五十六分より前]に災害派遣待機命令が出ていた、という証言もある。私の公式ブログを見て、前著の出版社に来られた元自衛官も同様の話をしていた。大型ヘリのバートルのエンジンがかかった状態で待機、隊員はすぐ乗り込み離陸する予定だったが、その数十分後に翌朝まで待機と命令が変更になって、無理やりエンジンを切らされたという。(p.136)

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 川村一男氏といえば、群馬県警察本部長で日航機事故対策本部長を務め…捜査の指揮を執った方である。‥この河村氏は警察を退職し、再就職して大阪に行き、その後神戸に住まいを構えた。その再就職先から[遺族の]吉備さんに電話がかかってきたという。その内容は……。
「‥私を監視するためにわざわざ大阪に来たんやっていうてね。ずっと見ているぞっていう感じの話しぶりでした。…」

…再就職したとはいえ監視をほのめかすとはどういうことか。まず、監視そのものが通常では考えられない行為である。(p.87)


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[山下徳夫運輸大臣(当時)は]私が話すことを、さもありなん、という顔で聞いてくださったことはとても不思議だった。‥大臣という地位にあっても、すべてを正確に把握できる環境になかったのかもしれない、そう強く感じたのは、山下氏の別れ際の一言だった。
「あのね、日本はなんでもアメリカの言いなりだからね。遺族が再調査を望むのであれば、ぜひすべきだと思う」(p.99)


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[遺体の炭化と墜落現場のガソリンとタールの異臭、火炎放射器に関する話を]元自衛官にしたところ「核心に近づくと妨害や脅迫が増えてくるから気を付けたほうがよい」という丁寧なアドバイスまで頂いたが、逆に核心はこちらだ、ということを暗示されたようなものだった。(p.158)

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アントヌッチ元中尉証言:「米海兵隊の救援ヘリが二十時五十分に地上の様子を偵察するために降下中なのを視認した。」(p.31)

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  [福島第一原発で]毎日新たに約400トンもの汚染水が汲み上げられて1000基以上のタンクに保管されていくとのことだ。‥」「フランジ型」と呼ばれる大量のタンクはすでに老朽化し始め、汚染水が漏れ出ている。今度はこの古いタンクの解体作業が始まる。一日約六千人の作業員が毎時300マイクロシーベルト(3号機周辺)という職場で働いている。このツケを私たちの子孫に渡し続けなければならないのである。
 それでもなお、原発事故はなかったことと思い込みたい人々や、現政権を支持して再稼働を願う人がいるのはなぜだろうか。これは、人間にとって最も大切な共感力が欠落しているとしか思えない。(p.p.173-174)