Saturday, June 28, 2025

有馬哲夫 『一次資料で正す現代史のフェイク』

 東条、そして日本の考えていた戦争は、いわゆる限定戦争だった。ルーズヴェルトはこれを、相手が無条件降伏を呑むまで殺戮し、破壊し続ける無制限戦争に[途中から〕変えてしまった。これによって和平のハードルを高くしてしまった。
(p.p.40-41)
一方、アメリカ諜報機関とりわけ戦略情報機関(OSS)スイス支局などが、天皇制存置さえ認めれば、ソ連の仲介なしでも、日本が降伏することを[ルーズヴェルトの無条件降伏原則を引き継いだ]トルーマンに報告していた。
これを踏まえて、五月二八日、国務長官ジョセフ・グルーは、天皇制を含め日本人に彼らの自由意志によって政体を選ぶ権利を認める降伏勧告を日本に対して出すよう求めた。
(p.p.42-43)
…[トルーマンは〕四五年四月二四日に[陸軍長官〕スティムソンから原爆が八月頃完成予定だと報告を受けていた。これによってトルーマンは日本本土上陸作戦を回避するために条件付降伏を日本に認めることで早期和平を図るよう求めてくるアメリカ軍関係者のプレッシャーに耐えることができた。…さらに、ポーランド問題でソ連と決裂していたので、ソ連にこれ以上協定違反をしないよう警告するためにも原爆を使用したいと願っていた。
天皇制存置条件付降伏支持者のスティムソンさえ、原爆の使用には積極的だった。およそ十九億五〇〇〇万ドルの巨額の予算を使って開発しただけに、使用しなければ開発責任者として責任を問われると思ったのだった。こうして、ポツダム宣言から、天皇制存置条項が削除された。これを残せば、日本は宣言が出るやいなや降伏してしまい、原爆を使用する機会が失われるからだ。
(p.p.44-45)

トルーマンは原爆で真珠湾攻撃の罰を与えたかった

[トルーマン大統領は]上院議員時代から「パールハーバーの騙し討ちをした日本を懲罰すべし」と公言していた。加えて、四月二三日にソ連外務委員長ヴャチェスラフ・モロトフとポーランド問題に関する協定違反のことで言い合いになってからは、ヨーロッパで勢力拡大をはかるソ連を威嚇するため原爆の威力を見せつける必要があるという考えを持ち始めていた。
(p.p.92-93)

スティムソンも自著『平和と戦争に力を尽くして』でこう述べている。

アメリカが天皇の地位についての見解を明確に示すのを遅らせたことが戦争を長引かせたということだ。
(p.107)

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