Sunday, May 7, 2017

Curtis, et al『原子力その神話と現実』

Curtis, R., Hogan, E. R., Takagi, J., Kondō, K., & Aki, Y. (2011). Genshiryoku sono shinwa to genjitsu (An examination of nuclear power's safety, economics, and political record). Tōkyō: Kinokuniya Shoten.

原子力―神話と現実

神話 原子力開発計画で死んだものはいない〕

 カレン・シルクウッドは・・一九七四年の半ばにカー・マギー[プルトニウム製造工場]の安全規則違反行為や不法行為に関するデータ集めを開始した。11月にはデータを集め終え資料を完成していたが、同じ頃彼女のアパートがプルトニウムで汚染していることも判明した。身の危険を感じたカレンは、一九七四年11月13日、UOCAWの幹部と「ニューヨーク・タイムズ」紙の記者に会おうとして出かけたが、約束の時間に現れることなく、メチャメチャに大破した車のなかで死体となって発見された。おまけに問題の資料は忽然と消え、いまなおみつかっていない。・・何者かに追突されたというのが民間の調査機関の結論だった。

・・彼女の遺族はカー・マギー社に対する民事訴訟で、史上最大の補償金二億ドルを最近かちとった。
不幸なことに、以上の例はけっして特異なケースではない。あまりにも多くの人々が原子力の犠牲になって死んでおり、これからももっと多くの人々が犠牲になるであろう。(p.68)


隠れる場所とてなく

  不注意や作為によって放射能の容器が破損して漏れ出すことの他にも・・紛失が起こるし、盗難も起こっているのだ。
・・・ L・グッドマンが六七年に語ったところによると、彼が作った表には当時すでに放射性の燃料カプセル八八本の紛失ないし盗難が挙げられている。


 紛失したものが見つかった例もある。一九六二年の三月、H・エスピンドラという名の少年が、メキシコ・シティの郊外のゴミ棄て場で遊んでいて、ある容器をみつけて、蓋をこじ開けた。なかには放射性コバルトのペレット七個が入っていたが、原子力技術者が以前に失くしたものだったろう。この容器は、エスピンドラの家の飾り物となった。四月一七日におばあさんのO・イバラが、台所のコップが着色しているのに気付いた。二九日に少年は死んだ。母親も七月一九日に死んだ。死因が判明し、カプセルは七月二二日に取り除かれた。しかし、その後も八月一八日に少年の姉が、一〇月一五日にはおばあさんが死んだ。(p.p.127-128)

 
 かつては極秘にされた原爆の製造法も、ずっと昔に公表されている。かつて数年間ペンタゴンの原爆設計・試験計画の責任者であった核物理学者T・テイラーが次のようにコメントしている。「私が最初の原爆を作ったときから、あまりに簡単に出来すぎることが私を悩ませていた」。
・・原爆を持たない国が秘密の施設で、横流しの物質を使って核兵器を作る可能性は、信頼できる筋が既に指摘していることだ。
 大学程度の物理学の知識があれば、初歩的な原爆を作り得ることは明らかだ。数年前、プリンストンの大学生が原爆の設計図を連邦政府に提出してこの点を立証した。(p.p.129-130)


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