Aihara, H. (2025). フクシマ, 能登, そしてこれから : 震災後を生きる 13人の物語. 婦人之友社.
「風評被害」への異議―あきらめない
今、水戸さんは、国や電力会社、行政が「風評被害」という言葉で市民の言論を封殺しようとしているのでは、と懸念する。18年8月、福島原発の汚染水海洋投棄を議論する経産省の公聴会が郡山市で開かれた。水戸さんは意見発表人として出席、主催者側が会の冒頭で使った「風評被害」という言葉を、「放射能に対する不安や議論を封じ込める言葉だ」と指摘した。(p.93)
「現場に足を運ぶこと」の重要性
「現場に足を運ぶこと」の重要性
福井県の敦賀、美浜の原発が林立する地域を通り、その先々で地元の人から直接、原発の話を聞いた。
興味深いことに、複数の人と一緒に会っても誰も意見を言わない。ところが1人に個別に会って話を聞くと、ボソボソと本音を話しだした。何度か通ううちに、敦賀市の僧侶で反原発運動に携わる立花正寛さんに会う。立花さんは「長い間坊主をやっているけれども、がん患者以外の葬儀はしたことがない」と語った。立花さんは夜、門徒さんたちから話を聞く機会を設けてくれた。すると、彼らは次々に「うちの息子が取られてな」「うちの息子も取られた」と悲しげに語った。「取られた」という意味を尋ねると、「電力会社に息子が殺されたという意味だ」と打ち明ける門徒さんたち。
…さまざまなことを教えてくれた立花さんも、がんのために亡くなった。
(p.p.196-197)
活断層のリスクを軽視しない
興味深いことに、複数の人と一緒に会っても誰も意見を言わない。ところが1人に個別に会って話を聞くと、ボソボソと本音を話しだした。何度か通ううちに、敦賀市の僧侶で反原発運動に携わる立花正寛さんに会う。立花さんは「長い間坊主をやっているけれども、がん患者以外の葬儀はしたことがない」と語った。立花さんは夜、門徒さんたちから話を聞く機会を設けてくれた。すると、彼らは次々に「うちの息子が取られてな」「うちの息子も取られた」と悲しげに語った。「取られた」という意味を尋ねると、「電力会社に息子が殺されたという意味だ」と打ち明ける門徒さんたち。
…さまざまなことを教えてくれた立花さんも、がんのために亡くなった。
(p.p.196-197)
活断層のリスクを軽視しない
北野さんは24年5月の志賀原発廃炉訴訟の口頭弁論で、原告団長として「志賀原発周辺は大きな活断層だらけ。珠洲原発同様、建ててはいけないところに建ててしまった」と活断層評価や避難計画の問題点を指摘した。
「…能登半島地震で、かなりの人が『もし志賀原発が動いていて事故が起こったら、閉じ込められ、見放されたまま被ばくするかもしれない』と危機感を抱いた。原子力ムラは巨大でしぶとい。でも住民が自分の問題として捉え始めている」。
(p.223)
のと、と、ふくしま、と
「…能登半島地震で、かなりの人が『もし志賀原発が動いていて事故が起こったら、閉じ込められ、見放されたまま被ばくするかもしれない』と危機感を抱いた。原子力ムラは巨大でしぶとい。でも住民が自分の問題として捉え始めている」。
(p.223)
のと、と、ふくしま、と
珠洲市狼煙町で、発災後、住民が農家のビニールハウスに集まって避難生活を送った地域を訪ねた。
…ビニールハウスで生活した1人の高齢の女性が、私の車の「福島」ナンバーを見つけて、「福島からきたの」と驚いた。
…その女性は、周りに誰もいないのに小声になった。「私はあの時、[珠洲]原発に反対したんですよ。私ら、原発に反対した人たちは、計画が凍結されてからもいっぱい嫌がらせを受けました」。元日の地震直後、この地域も孤立集落になった。(p.p.224-225)
…ビニールハウスで生活した1人の高齢の女性が、私の車の「福島」ナンバーを見つけて、「福島からきたの」と驚いた。
…その女性は、周りに誰もいないのに小声になった。「私はあの時、[珠洲]原発に反対したんですよ。私ら、原発に反対した人たちは、計画が凍結されてからもいっぱい嫌がらせを受けました」。元日の地震直後、この地域も孤立集落になった。(p.p.224-225)
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