Tuesday, August 7, 2018

孫崎享, et al.『いま語らねばならない戦前史の真相』

Magosaki, U., & Suzuki, K. (2014). Ima kataraneba naranai senzenshi no shinsō.

アメリカの謀

 アメリカの謀略で重要なものにノーフォーク事件というのがあります。アメリカの隣に、社会主義のキューバという国ができた。アメリカの軍部は潰さなければいけないと思ったが、いきなり軍事力で出て行ったら、国内世論に叩かれるので大変なマイナスです。ここで謀略があったという記録、参謀総長まであがった文献が出てきます。

…まずアメリカの客船を、ミグの形に改造した米軍機が攻撃するのです。定期便が交差する時間帯、空域を選んで攻撃すれば、定期便に乗っている人が誰か見ていて、攻撃した飛行機はミグの形をしていたと証言が得られます。ミグならば、すなわちキューバという事になります。攻撃される客船には、夏休みの学生を乗せておいたのです。
 この資料はケネディ暗殺と関係して、アメリカの公文書館から出てきました。その中に、この作戦の決裁書類が入っていました。国家のためなら、一般民間人を殺すのは平気なのです。(孫崎, p.p.150-151)


メディアの役割

 日本をこれだけおかしくしている一因はマスコミです。そのマスコミに対して、いま明らかに起こっている現象が政治の介入です。
      […]
 一番顕著なのは原発関連です。例えばテレビに出ていた鳥越俊太郎さんは、原発についての意見を述べて、一発で降ろされたと言っていました。新しい番組になって、鳥越さんだけがはずされてスタートしている。なぜかと言えば、原発に対する姿勢、反原発です。それしかない。そういうかたちで、何か政権にとってマイナスの発言をしたらはずす。発言した人だけでなく、ディレクターとかスタッフまではずされていくというかたちでの圧力が激しくなっています。(孫崎, p.p.183-184)

孫崎享講演会  『戦後史の正体を暴く』~日米同盟と原発

3 comments:


  1.  それは音から始まった・・・。
     
     いや、音というより、
     
     得体のしれない雰囲気。
     
     それが、超音波テロの加害者の声とわかったのは
     
     ずいぶん後のことだった・・・。
     
     
     超音波による「超音波テロの攻撃」は
     
     「物理的な力」による「物理的・肉体的攻撃」と
     
     「骨伝導を用いた音声伝達」による「精神的攻撃」
     
     があり、卑劣な被害にあっています。
     

     人や社会が超音波で襲われています。
     
     超音波の測定器・受信機があれば、
     誰か、世の中の超音波を聴いてみてください・・・。
     
     誰か、世の中の超音波の測定器・受信機を作って
     聴いてみてください・・・。
     
     
     
     本当に卑劣な攻撃の被害にあっています。
     
     天に神に届きますように。
     
     
     山口市内が超音波で・・・。

    ReplyDelete
  2. 山口市内が超音波で・・・。
     
    山口市内が超音波で・・・。
     
    山口市内が超音波で・・・。
     
     超音波テロの加害者も山口市内に潜伏!?
     
     超音波テロの加害者は職を持たず、
     24時間特定の場所にこもり、
     ネットワークを通して
     超音波でシステム化された攻撃を
     していると思われる。
     しかもそれを支える経済的収入は
     超音波のシステムを使った
     非合法で巧みな方法と思われる。 

    ReplyDelete
  3.   昭和二十年一月一六日深夜、三重県方面から来襲したB29爆撃機が京都市上空を旋回したのち、東山区馬町に爆弾を落とした。…死者四十一人、負傷者四十八人、被害家屋は三百十六戸。
     その後は三月十九日(右京区)、四月十六日(右京区)、同二十二日(北区)、五月十一日(上京区、右京区)と続いた。五月には被害はなかったものの、御所春興殿の庭先と久邇宮邸の屋上に落ちたのだそうだ。
     そして六月二十六日早朝。上京区の西陣出水・正親地区に馬町と並ぶ規模の空襲があった。…死者五十人、負傷者六十六人、被害家屋二百九十二棟。

    …これまでもあまり知られていなかった京都の空襲だが、柱や壁に弾痕や傷跡を残す古い民家が、無言のうちにもその事実を物語っていた。

    …空襲を受けた地域の一角にある「山中油店」(上京区下立売通智光院西入ル)。ここは時代劇に出てきそうな「あぶらや」の風情をよくとどめる洛中の老舗だが、昔ながらのショーウィンドウに油しぼりの道具とともに展示されているのは、ほかでもない、西陣空襲の爆弾の破片であった。
     このことを知る人は、京都でも少ないのではなかろうか。(p.p.216-217)

    黒田正子『京都の不思議』 

    ReplyDelete