Saturday, June 14, 2014

西田公昭 『マインドコントロールとは何か』"What Is Mind Control?"

Nishida, K. (1995). Maindo kontorōru to wa nani ka. Tōkyō: Kinokuniya Shoten.



 意思決定という個人の内的な活動には、二種類の情報を常に利用している。…ボトム・アップ情報とは、情報処理時に五感を通じて外界から取り入れる情報のことである。つまり、意志決定中に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、皮膚感覚によって処理される情報のことをさす。一方、トップ・ダウン情報とは、それまでに前もって獲得されて記憶構造の中に貯蔵されている情報のことである。それは、つまり意思決定中に処理される「知識」や「信念」をさす。なお、心理学用語では、これら後者のトップ・ダウン情報を「ビリーフ」(belief)という。(pp.58-59)

…ビリーフとは、ある対象(人や事象)と、他の対象、概念、あるいは属性との関係によって形成された認知内容のことをさす。たとえば、「神が宇宙を支配している」「A型の人は几帳面だ」「政治家は腹黒い」「霊界がある」などである。日常的な表現でいうと、「信念」だけでなく「知識」「偏見」「妄想」「ステレオタイプ」「イデオロギー」「信条」「信仰」などがそれにあたる。人は、こうしたビリーフをさまざまに多く所有し、自らの経験に即して整理し、構造化して、システムを形成しているのだ。(p.74)

 ビリーフ・システムは情報を満載した図書館のようなものであり、一つのビリーフが一冊の本である。そしてビリーフの構造化とは、図書を分類して書架に並べるようなものだ。…図書館利用する人は蓄積された、膨大な図書の中のいくつかの書架から、必要ないくつかの本だけを利用する。人間のトップ・ダウン情報の処理でも、ビリーフ・システムのうちのごく一部のある「まとまり」をなしたビリーフの群が用いられている。そのまとまりのことを、心理学の用語では、「スキーマ(schema)」と呼んでいる。

 スキーマという概念は、研究者によってその用い方にやや違いがあるが、私は、いま述べたように、記憶構造内の膨大な情報を構造化したビリーフ群のことを示す概念と考えている。いうなれば、それはある特定のテーマに基づいたデータの集積であり、ある特定の何かを考えて判断するために必要な構造であると考えられる。
 人は、人、事物、状況、出来事、行動についてなど、さまざまなスキーマを所有していると仮定できる。たとえば、いま話をしている相手がどういう状態にあるかの意思決定をするとき、その人の顔を見て、目、鼻、口の形状などのボトム・アップ情報を使ってその特徴をとらえようとする。また、あるいは相手がだれかわからないときにはそれまでの経験から築いた人物ファイルのなかの、どの知人の顔の特徴に合っているかを探すだろう。また笑い顔とか泣き顔であるとか、女性と判断される顔なのか男性と判断される顔なのかといった具合に、「人」を判断するための特定のスキーマから、さまざまなトップ・ダウン情報が処理される。(pp.75-76)

…なぜ個人はスキーマをつくっているかといえば、おそらく意志決定という作業を、的確に迅速に処理するためであろうと考えられる。…われわれの思考という作業は、まず、適切なスキーマを探し出すことにあるのだ。…図書館に譬えれば、役立ちそうな書架の前に立って本を見つめているようなものだ。これをスキーマの活性化という。(p.78)

ケリーがおこなった印象形成の実験[Kelly, K.H., 1950, The warm-cold variables in first impressions of persons. Journal of personality]やロスバートとビレルの印象形成の実験[Rothbert, M. & Birell, P., 1977, Attitude and the perception of faces. Journal of research personality]では、ターゲットの人物の印象が、実際にその人物を見て情報処理する前に与えておいたいわゆる「先入観」の情報に影響されることを示した。つまり、ある特定のスキーマを活性化させておくことによって、トップ・ダウン情報を操作し、ボトム・アップ情報の処理がある特定の方向へ誘導された。

…このように、人の第一印象は、前もって活性化されたスキーマによって左右されてしまうといえる。たとえば、破壊的カルトと目される組織のトップ・リーダーの顔を見たとき、そこに深い慈愛や神聖さを見てとるか、利己的な残忍さや冷酷さを見てとるかは、その判断する人がその集団に深く浸透している人なのかどうか、その人がその組織を反社会性の高い集団とみなしているかどうか、によって影響されるのである。つまり、他者の印象判断は、「良い人」のスキーマか「悪い人」のスキーマのいずれが活性化し、意思決定に強く影響しているかによって左右されるのである。もちろん判断した本人は、このような教示の影響力に気づかない傾向にある。ある破壊的カルトの場合、説得的なメッセージの送り手となる人物を、他の人が前もって最大限の美辞麗句をもって称賛しておくことをマニュアル化している。(p.p.78-80)

…人間は、五感によって得ている情報(ボトムアップ情報)を、自分のビリーフ(トップ・ダウン情報)に照らし合わせて、ある判断や決定を下している。ということは、逆に個人が常に用いている二種類の情報を制すれば、個人の認知(思考)、感情、行動を操作することも可能となる。

…このボトム・アップ情報を操作するマインド・コントロールのほうを「一時的マインド・コントロール」、トップ・ダウン情報あるいはトップ・ダウン情報とボトム・アップ情報の両方を操作しようとするそれを「永続的マインド・コントロール」と区別して呼びたい。
「一時的コントロール」は、個人のいる場にはたらく拘束力を利用する。つまり、ある個人の置かれた特定の状況における判断や行動の操作を目的に、外部環境からの情報をコントロールする。したがってその影響力は後々には影響せず、「その場限り」あるいは「その状況下」だけのものである。一方、「永続的コントロール」は、意思決定のための「装置」までも変容し操作してしまうので、個人のいる場に関係なく影響を与えることができる。


…操作者がこれら二種類の情報を完全に制することができれば、人が論理的に情報処理する限り、思い通りの意思決定をさせることになる。…しかし、それでもやや完全な論理性を持っていないのは、もう一つ重大な「こころ(マインド)」の要素である感情のシステムからの影響があるからだと考えられる。ところが破壊的カルトは、この感情のシステムの影響をも、一定の方向へコントロールしようとする。

…マインドコントロールを一言でいえば、それは、ボトム・アップとトップ・ダウンの二種類の情報を統制することによって、個人の精神過程および行動の完全なコントロールをもくろむものといえる。たとえば、「何かの料理をつくる」という意思決定をさせるのに、「料理の材料」と「料理道具セット」、ともに指定したものを使わせておいて、「自由に考えて好きな料理をつくればよい」と、言っているようなものである。もちろんいうまでもなく、食材と料理道具セットが指定されてしまえば、料理の内容はほぼ限定されてしまう。もしも新鮮な鯛が食材として選ばされて、使える道具が包丁だけしかなかったなら、まずほとんどの日本人なら、だれかに命令されなくても刺身を造るであろう。しかも「自分の頭で考えた」結果によってである。

 一方、「洗脳」をこの例にあてはめると、それは「刺身」という料理を直接命令し、その料理をつくるまで、身体を拘束したり薬物を投与したりするというものと比喩的に理解できよう。だから本人もふつう強制に気づく。

 マインド・コントロールは、個人がこのように通常おこなっている情報処理の特徴を巧みに利用しておこなわれるために、個人に選択の自由があるかのような幻想を見させることになり、本人やその周囲の人に気づきにくくさせてしまっている。(p.p.58-61)

[...]


ハッサンはマインドコントロール[に使われるボトム・アップ]情報を「燃料」にたとえている。(p.61)

[...]

ビリーフは記憶からつくられている。…古いビリーフ・システム[は]発達こそしないがほこりをかぶった古い機械のように、思考の作業場の片隅に放置されているような状態と考えられる。・・・つまりビリーフ・システムの変換というのは・・・単に新しいシステムを形成させて活動させ、なお古いシステムを活動させないでおくというようなものである。(p.82)

マインド・コントロールでは、操作者は、思考の「装置」に、こっそりと操作者に都合の良い新しい「道具セット」をもちこむ。…つまり操作者は、新しい思考をさせるための新しいビリーフをセットにしてもちこんで、思考の「装置」に組み込ませ、新しい「装置」をつくる。そして「古い道具セット」を片づけさせて、使わせないようにさせる。

マインドコントロールへの抵抗と防衛、そして現代社会
How to Protect Yourself from Mind Control (excerpts)
  (1)時と場合によっては、規範を逸脱する実習をする。「ちゃんとしていないと相手に悪い」とか「きちんとしよう」と必ずしも思う必要はない。
(2)「私がまちがっていました」「すいません」「私が悪かった」とあやまる実習をする。人は、つい自分をよく見せようとしすぎて、相手の勧誘に断れなくなることがある。途中で自分の本心とちがう誘いであることに気づいたら、直ちにその場から逃げ出すようにしよう。
(3)卑近な問題や状況を「型にはめる」ために用いる、ものの見方に注意を払おう。そのような他人のものの見方を受け入れてしまうと、その場において、相手を優位に立たせてしまう。・・・
(5)人は他者からの愛や行為に弱いものである。いかなる対人状況であっても、相手と少し距離をおき、相手や自らに対して「私は、あなたがいなくても、ひとりでやっていける」と言うのをいとわないことである。
[ (5) People are vulnerable to mind control techniques that are camouflaged with affection or kind actions. You should keep distance from any kinds of relationships, and do not mind saying to them: “I can be independent from you.” ] 

(6)どうすべきかが明白でないとき、不確かな行動をすぐにとるのではなく、時間をおき、歪曲の無い公正な意見を得てから行動しよう(註:エポケー)。答えを保留することは、恥ずかしいことではなく、そこには否定的な意味は何もないと知るべきである。・・・
(8)役割関係、制服、権威の象徴、集団圧力、規則、見かけの合意、義務、コミットメントなど、強いて従わなくては行けない様な、いかなる状況の拘束力にも敏感になろう。・・・
[ (8) In whatever circumstances, be cautious to power such as social roles, symbols of authority, uniforms, peer pressure, which would bind you to obey.]
(14)重要な評価や判断をするときには、少し冷めた目で、一歩さがってみつめ直そう。策略をめぐらす人との接触においては、感情移入しないことが肝心。
[ (14) In an important decision-making and judging, step back and cool yourself down. Don’t get empathized with people who play tricks on you.]
(15)みせかけの動機に惑わされたときには、貪欲さや自己を増長させるようなお世辞がマインド・コントロールしようとする者を調子づかせてしまう。最も自分が信頼している人なら、この場合、どう考えるだろうかと思い浮かべてみる。・・・
[ (15) Your greed and conceit generated by flattering will elate the person who attempts to mind control you. Imagine what the person whom you trust the best would think about this situation.]
(17)人は一般になれた情況では自動的に行動してしまいがちである。いつも自分が置かれている情況で、自分がやっていることに注意深くなろう

[ (17) Under whatever circumstances, be mindful to what you are doing.]

(18)時としては、行動に一貫性は必要としない。「信頼できる」人にならなければならないと固執してはいけない。
(19)非合法的な権威に対しては、いかなるときも拒否しなくてはならない。
(20)手続きや規則の変更が不公正に行われたならば、口頭での反対や情緒的な反対では不十分である。そうしたことに対して、従ってはならないだけでなく、公然と批判し、反抗し、挑戦すべきである。

・・・一時的マインド・コントロールに対処する場合、返報性、一貫性、好意性、希少性、権威性といった状況の拘束力に注意すべきである。もし、これらの社会的影響力が働いて、個人の自由度が限定されてしまわれそうな感覚を認知したなら、すぐさま、その場をとりあえず離れる努力をしたほうがよい。たとえ、そうすることによって失うものがあっても、それは一生の問題と比較すれば、大きな問題ではないとみなしてまちがいなかろう。
また、永続的マインド・コントロールに対処するには、何となく納得してしまいそうでありながら、どこかしっくりこない内容の話や、他者の合意、一方的な権威といった、社会的リアリティに注意しよう。そういう感覚を認知したなら、判断を保留にして、知る限りのあらゆる方法を用いて、さまざまなチャンネルからの情報を集めてみる。そして、決断を下す前に、それをできる限り、客観的に吟味しよう。特に、自分がよく知らない問題に対しては、いくら相手がそれにくわしそうであっても、また相手の意見を受けいれることですっかり個人的にはすっきりと問題が解決しそうであっても、そうした信頼は「装える」ことを知っておく。
さらには、何か集団のメンバーとなっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ。
(p.p.224 – 227)